2016年多くの感謝とともに・・・

2016年
1月、夫婦で職人起業塾に参加することができました。
2月、家計を維持していくために仕事を必死で模索してました。
3月、お片付けセミナーを開催しました。主人が少しづつ仕事復帰しはじめました。
4月、大志が年少さんになり、まこがたんぽぽ組さんへと進級しました。パート勤務も決まりました。
5月、自然派コープのプチパーティースタッフとしてダブルワークをこなす日々がはじまりました。
6月、口コミでご縁にめぐまれたお客様の工事、主人復帰で元請け仕事復帰がとてもうれしかったです。
7月、毎月のイベント出店や見学会参加や仕事やパートなどだんだんめまぐるしくなってきました。
8月、ご縁のあるお客様との出会いがうれしくて、お片付けや内装提案をさせていただきました。
9月、オールアースパウダーのワークショップ開催ができました。
10月、DIYサポートののご依頼やお片付け作業と現場に赴く日々でした。
11月、withシュタイナー工事を通して改めて家づくりの魅力を再認識しました。
12月、1ヵ月と20日もとめてしまったブログを再開しました。人のあたたかさを感じました。
1行でまとめてみたけど、まとめきれない、書ききれないことありました。
1年、早かったようで長くも感じます。
長かったようで早すぎる感覚もあります。
1年あればいろいろできると思った一年でした。
何より主人の仕事復帰はようやく~って思いました。
それでも今こうして家族全員が元気に年を越せます。
そして本当に人に支えられて過ごせた1年だったと改めて感謝しております。
2016年の締めに・・・
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年越す時間帯は寝てますので、試し打ちさせていただきました。
古木さん、ありがとうございました。
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御節。
今年一年お世話になった感謝に主人の両親へ。
おじいちゃん、おばあちゃんいつもありがとうございます。
来年も元気でよろしくお願いします。
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ラーメン鉢だけど・・・(汗)晩御飯は神山鶏で鴨南蛮風お蕎麦。
しょうが味噌をポトンと添えてぽかぽかになりました。
さて、私はまだまだ来年へ続くこといっぱいしながら年越しします・・・
今年も人の気持ちが身に染みた一年になりました。
今年を終えるにあたって思うのはやはり感謝そのものです。
今年一年本当にありがとうございました。
良いお年をお迎えください。

餅つき2016

餅つき2016
おじいちゃん同士が従弟という遠い親戚のおじちゃん家で毎年恒例の餅つき。
今年は21臼。決められた役割分担があります。人手がないところをお手伝いするのが勝手に私が思ってる役割分担。
今年で5年目の参加でした。
こうした体験はやりたいな~って気持ちだけでできるものでなくて
熟練したおじちゃん達の基、見事なチームプレイがあってこそなせる業で毎年30日の習慣としてこられたからできることだと思いました。
そして、毎年何かしらの気づきと発見がまだまだあります。
石臼でついた餅はお雑煮に入れてもどろどろにとけないし、しっかりとした歯ごたえがあります。
あまりお餅を食べずにきた私だったけど、おじちゃんとこでついた餅は本当に絶品です。
来ている子どもたちの成長を感じられるのも楽しいひと時です。
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総勢何人いたんだろう?
習慣になるとみんな集まるんだなぁって。
準備や下ごしらえや他にもいろいろ段取り、片付けのことを思うと苦労や体力や気力やとかあるだろうに・・・と思うんだけど
いつもおじちゃん、おばちゃんが笑顔であたたかく「また来年ね」って。
お餅が美味しい。
餅つきが楽しい。
随所随所にそれ以外にも何かうまく言えない大切なことを学んでる気がします。
今年も残り1日。明日はおせちDAY。
正直今時手間暇かけて作るの?なのかもしれないけど
1年の締めくくりに今年の感謝と来年また元気で過ごせるように・・・
やっぱり見様見真似、思い出しながら下手なりに18年続けてきた私の1年に1回の習慣行事します。

表現

姪っ子の絵
大丸の催し展示場で姪っ子の絵が展示されているとのことで妹が姪っ子3姉妹を連れて見に行ってました。
私は途中から合流。
この絵の説明をする姪っ子の表現力に胸キュンでした。
題:おむすびころりん
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ひとつひとつ全てつながるストーリーがあるんです(*^_^*)
土のところは土の質感をだすために紙を貼ているらしい。
表現って自由でおもしろいなぁ~
表現って、その人が感じたこと、経験したこと、学んだことなどのいろーんなインプットがアウトプットされて表に現れてるのだと思うのだけどアウトプットされるまでの間に必ず、その人というフィルターが通されているからこそすごい魅力を感じます。
全く同じことを学んだどしても表現されるとき全く同じものでなくなってますよね。
同じ曲でも演奏する人によって感じ方が変わるみたいに・・・
同じ曲を同じ人が歌うにしてもその人の声の調子でかわるし、
同じ音源をリピートできいていても異変を感じることがあったり・・・
表現されているのを受け取る時の自分のコンディションでかわってきて
だから発信するって、表現するってそもそも自由でいいし、みんなおもしろいことだね~って姪っ子を見ていて思いました。
暮らしって表現そのもの
今日はヤンニョム作りして塩漬けした後の大根と和えてカクテキ仕込み。
大根5本分。
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毎年年末恒例のキムチ作り。
これもまた・・・基本だけおさえておいてその時の素材を目分量でつくるし、アレンジもするので毎年違う出来です。
今年はどうかな~
野菜たちも素材たちも表現してきます。ここも毎年違うと感じます、その違いを見聞きする姿勢で私もカクテキを作るという表現をするんですけど、まだまだよっしゃ~。これでレシピ留めておける!まではまだだな~。
表現力、これもまたコツコツ積み重ねてると知らぬ間に身についてくることあるな~って感じた今年のカクテキ作りになりました。
暮らしって表現の宝庫。魅力的でおもしろい世界(*^_^*)

「灯」~エンデから受け取ったメッセージ、そして「継」

毎日更新するって宣言していたくせに、更新をとめてしまって本当にごめんなさい。
ブログを綴るきっかけをいただいた高橋社長はじめ、読んでくださってた方に本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
どんなに忙しくても眠たくても何があっても根性で綴ってきてたのに自分でも悔しくて情けなくて。
ブログがとまったことであたたかいお言葉をいただいた方たちのおかげでメンタル弱い私ですがやっぱり綴りたいってなりました。
これからも私というフィルターを通して感じること、日々のことになりますが・・・相変わらず支離滅裂だし洗練もないですが・・・
自分の気持ちを欺くことはしないようにするのは下手くそだし、いちいち勇気がいるけどしないようにしようと思います。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
今年1年のはじまりに、「灯」という目標をたてた。
自分の中の想いが灯し続けられるように・・・
恐れ多くも誰かの心にも灯せる何かができるように努めようって・・・
振り返ってみて現実は目の前のことにめいっぱい。ブログも自分で勝手に自分の心へし折ってとめてしまった。
モモを読んだら想い出までくっついてきて、私の中の時間がぐるぐるになって改めて灯ったこと。
「ただいま」と帰ると、家の中の空気がいつもより澄んでいる感じがする。
お母さんが拭き掃除したのがすぐにわかる。
「おかえり。今日はどうだった?」と母に訊かれる。
「灰色の男たちだらけだった」小学校6年生の時に読んだモモを読みたての私は応える。
子どもながらにとても印象深い不思議な世界観あるお話だった余韻にすっかり浸っていた時期があった。
お母さんは「灰色の男たちは人なの~???」と笑いながら言う。
「???そうだけど???そうなのかな???」
いつもお母さんは私の全てを見事にお見通しだった。読んだ本の話も不思議といつも通じるし授業で興味深いことがあった日には話をきいてくれる。時に議論にもなる。子ども時代の印象深かった思い出は未だに鮮明に覚えている。
「あんたたちに何かあったら胸がざわついてテレパシーでわかるねん」って言われることを本気で信じていたし今ならなんとなくわかる気がする。
この時期は特に自分の中でモモブームがあった。
小学校6年生になったとき担任の先生から提案があった。
1年間読書ノートをつけること。転校してきて慣れてきたかな~くらいの時に登校すると下駄箱の上靴の中にどっさりひっつき虫が入っていたことがあった。だまってたらエスカレートした。何でかな~?
それから休み時間は給食のおばちゃんがいるところ、捨て犬と捨て猫があつまるところ、図書室が学校行った時の拠り所だった。1年間、記録する読書ノートが担任の先生とお話を通してできる交換日記みたいで楽しかった。
読書ノートを書きたいがために1日1冊、2~3日で1冊読んでいたと思う。なんでこんなにはまってたんだろう?
やりがいだったんだと思う。
「お父さんの誕生日やな~。お父さん、11日うまれかはっきりわからないらしいけどね~」と鼻歌まじりで母は会話を続ける。12月に入ると大掃除の季節もあってだと思うけどお父さんの誕生日だから~って言って特にピカピカにしてた。
「ほら、息してるみたいやろ~家って生きてるやろ~」これはいつもより念入りに掃除したときの母の口癖だった。
モノもお母さんには付き合い方次第で生き物になるらしい。
家の中の植木は日に日に大きくなって綺麗にふかれた葉は輝いている。
活き活きしているのが伝わってくる。「お母さん、何の歌?」ってきいても「ふっちゃんソング(笑)」みたいな・・・ちょっとぶっ飛んでる感満載。
その血は三女が継いでいると思ってる。
ひょっとして波長能力者やったんかな?
この空気感はきっと妹達にはわかる。
団地住まいの頃から大概遊び場は家の近くの雑木林。晩御飯の匂いを確かめて近所の友達と別れて妹達と家に帰るのが日常だった。
遊びに行く前にランドセルを置きに2階のホビールームに行くと、依頼をうけて製作中の看板が大きな長い模造紙に描かれているときがあった。
コバルトブルーでなぞられた何の書体なのかわからない整った文字。そのインクの香りがしていた。決して触っていはいけない母の聖域化とした仕事空間。
書道まで練習し始めてた。理由は「お父さんとニュージーランド移住したら向こうで教えられるようにね~」って。
なんか未来の話し方が違う。
「学校いってるんやろ。勉強は学校でしておいで~」「外で遊べ~」「嫌ならやめとき~。やるなら最後までやり。」いたってシンプルな文句。習い事はしたことがない。勉強しろと言われたことがない。点数なんかで怒られたこともない。家と社会のギャップはこの頃から薄々あるのがなんとなくわかってくる。
お母さんとのおしゃべりノート(交換日記)は書きたいときに書いておく。大概私は落ち込んでる時が多い。今でも時々広げて読んでみると気づく。恥ずかしいくらい子どもの頃から私って変わってない・・・
社会性に欠けているって言われたら欠けているし、外は好きだけど根はインドア派なのは幼少期からのなごり。
言葉にできない感じる違和感や尽きることない好奇心や変な正義感は表に出せばウザがられるだけ。
そのうち殻に閉じこもっちゃう。どーせ私なんて病は子どものころからの癖になってる。
おしゃべりノートのお母さんの返答は〝お願いです。どーせ私なんかというのをやめると約束してください。”とところどころにでてくる。
家に帰ると一瞬で何もかもが時ほぐれる感覚があった。
包まれる安心感とワクワク感であふれていた。
そういう場は大好きな人たちがいるからつくられている。
でも大好きな人はみんな死んでしまう。
何でかな~?近づかないほうがいいのかな~。何か悪いことしたのかな~?
一昨日、空き家になった実家に帰ってお線香が消えるまでの間空気の入れ替えをした。
仏壇の掃除をしてきりっとした冷たい空気を感じながら仏壇の前でご先祖様と対話する。
遺影の写真をみると私の大好きな人たちはみんなやさしく微笑んでる。
私はありがとうがいっぱいあふれてくる。
私はただ、家に帰って今日の出来事でたわいもない話をして大好きな人と過ごしたいだけ。
家庭をもったら、お母さんみたいに笑って「おかえり」って迎えたいだけ。
土をいじって、季節によって違う風を感じて、日々の暮らしを楽しんでたい。
家族を持てばきっとそんな暮らしをするんだってあこがれていただけ。
だから今はそんな暮らしを守りたいだけ。
なんかあると自分で勝手に自分の心へし折るくせに、気持ちだけを前に向けなきゃともがく。
もがけばもがくほど自分を見失ってしまってた。働かなきゃ、働かなきゃ・・・って
自分の引き出しをぐちゃぐちゃにだしてみるけど・・・
何で生きてるんだろう?
人は生きがいを感じて生きてる。
生きがいって何だろう?人それぞれ違う。
エンデはどうしてモモを描いたのだろう?
単に世界はお金を見つめなおそうって話なのかな?
小学生の時に読んだ時とは完全に違う、今というタイミングで再会したモモの世界。
人間って生まれた時から
全て今を受け入れて積み重ねて今があると思う。
受け入れがたいこともすべて・・・
そして可能性が見えてくるし、生きがいを見いだせていく。
それぞれの生きがい。
モモのお話の世界で感じるのはみんなの可能性=生きがい。
時という空間の描き方から私が感じるメッセージ。
何で子供向けのファンタジーの世界になったのかがうまく言えないけどなんとなくわかる。
過去があってこその今だけど過去に生きていてはダメなんだと。
未来は過去の延長線上にあるものではないって。
登った先の山の向こうの景色がどうかとか、どれだけ早くその先にたどり着けるかなんてことが重要なのでないって。大きな山をどう登っていくのかってことをモモというファンタジーの世界から伝わってくる。
その時に自分の可能性を、生きがいを持っててねって。持ち続けてねって。失われるものではないよって。
例え可能性を奪われるように感じるような出来事があっても、決して奪われるものではないから。
誰にも人それぞれの可能性を奪えないようになっているから。
だから、そんな時にもし違和感を感じたら、殻に閉じこもらずにうやむやにしないよにしよう。
ブログはとまってしまってたけど、やっぱり自分の灯は消せるものでないと感じた。
モモを通して改めて自分の灯がわかった。
灯と思った一年だったけど「継」だなって。
誰かを想って家を磨いてたお母さんの口癖「家は生きてるよ~」
本当だね~って。全く一緒だと思うようになったよ。
暮らしも家も人ありき。呼吸ある生きた空間って心から安心して気持ちよく暮らせる。
英語専攻してきたのに、いざ働くとなった時に家づくりがしたいな~って芽生えて飛び込んだ世界。私の生きがい。
相変わらずなかなか説明するのが難しいな~って感じる多くの違和感や、尽きることのない多くの好奇心があるし、根拠ないちっぽけな正義感がでてきてしまうけど自分の可能性=生きがいははここにあるから。
お父さんから教わった自分の名前の由来ももっと大切にしよう。
母は仁なり、父は道なり
やっぱり私にはこの言葉がぴったりあてはまるから。
慈しむ心を教わりたっぷりの愛情を注いでくれたと何歳になっても感じるから。
かつて私がそうしてもらったように・・・
私は継ぎたい。継いでいくね。
私も思ってるだけでなくて声に出して言うね。
「家は生き物だよ~」変人扱いされようと、そう感じるんだから仕方がないし。
きっとエンデも同じことをいってるように思える。
生きがいを活かしてって。
子どもに届けたい一番のメッセージだから。
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実家の庭の草刈りがされていて、お花が植えられてました。
近所のMおっちゃんとおばちゃんがしたのだとすぐにわかりました。
どんな花達もちゃんと継いでると気づかされました。
両親が信頼していた人達。こうしたあふれてくる感謝を継ぎたいって思うことが私の生きがい。
worth(価値)とかいうよりbreath(呼吸そのもの)みたいな感覚。
価値は時々変わっても呼吸は誰にも奪われるものでないよね。
生きがいは呼吸と一緒じゃないかな?
支離滅裂で失礼しました。