聚楽壁補修

聚楽壁補修

竹木舞の土壁の家。玄関の壁の仕上げは聚楽壁。

阪神淡路大震災を経験している家。亀裂が入ったところをそのままにしていたらやっぱり目立ってきたからこの度補修することに。

補修する箇所は、真壁(柱が隠れてなくて、柱と柱の間の壁ことね)一面のみ。他は綺麗から触る必要なし。

写真真ん中の柱を境に右、左、どっちが補修した壁かはコンセントがぷらーんってなってるからわかりますね。

でも、この既存の味わいでている老竹色というか、蒼色というか、雑に緑色ねって表現できないグリーンの色合いを新旧違和感なく、左官屋さんが仕上げた。むしろ空気感が変わった気がする。

補修と言えど、日々を坦々と過ごしているという70代の寡黙な左官屋さんの技術を垣間見て無性に安心する。つくり手の手。手に刻み込まれたしわ。職人気質に手が入るモノ、コトつなげていたいと身震いする。

聚楽壁補修

左官技術

建築業界は左官職人が衰退の一途。左官仕事が少ないからなかなか次の世代に技術経験もままならない業種。元来の左官に代わる仕事が増えたけど、土をこね、自然環境の変化にアンテナをはり、その施工判断は感覚と表現とそして経験がすごいいる世界だなと感じる。

子供の頃、工務店経営していたお父さんの現場廻りについていって、魅了された世界は私の場合左官だった。

高見さん。姿勢がすべて物語っていてかっこいい年の重ね方だなっていつも頭が下がります。

いつもありがとうございます。

カレンダー

そねべーすのカレンダー

私たちがIT関連、ウェブなどでお世話になっているゾロアスタさま

ご夫婦で営まれています。一言にウェブと言えど、マーケティング、デザイン、また事業主として抱く悩み相談など多岐にわたる相談をさせていただいています。

つたないことも多い私たちのことをどれだけ根底で支えていただいているか、多大なる信頼の基、いつも心からおつきあいに感謝しております。

デザイナーのあかねさんの提案のおかげでできたのがこのカレンダーです。

そねべーすカレンダー

おかげさまで、お渡しした方たちから、感想やインテリアとして飾っているお写真など拝見させていただいたり、とても嬉しいです。

時に励まされ、時に率直な意見を伝えてくれ、しっかりとした技術をふまえ事実をしめしてくれ、一緒にウキウキ楽しめて、かわいい坊やに癒されて(*^-^*)、揺れ動きの激しい私のぶれにも付き合っていただき💦それをしっかりともとにもどしてくれて、公私がわからない私に公私隔てずにいつも本当に助けてくれています。

ポストカード風カレンダーの楽しみ方はいろいろです♡上の写真のように額に入れて置いて飾る、お気に入りのメモスタンドに挿して飾るもいいですし、壁にテープ、マスキングテープなどで並べて貼り付けるだけでもおもしろいです。

12枚入る額にいれてもいいし♡

インテリアを自由に楽しめるカレンダーがそばにあるのっていいでしょ♡

こうして産まれたこのカレンダー、私はデスクに飾っています。

私にとってはゾロアスタさまとこれからも時を共有していく存在にもなっています(*^_^*)

暦、時間

1年、約52週、365日(366日)、8,760時間、525,600分・・・それから何秒でしょうか(笑)

「あれっ、いつも洪水が来る前は一番星が光輝くぞ」

「おっ、30回夜を迎えたら満月にもどるな」

「太陽の光のあたりかた、陰のできかたが毎日ちょっとづつ変わるぞ」

「365日にしてみたけど、なんか微妙にずれるぞ、4年毎に1日増やしてみよう」

「微妙なずれがまだあるな・・・ならば、グレゴリウス歴、これでどうだ~」

今のカレンダー、私たちが「時間」と呼んでいるのは、6000年前からずーっと観察して来たんですよね。

自然の移り変わりを。

カレンダーが示す、皆平等にある時間の過ごし方は人それぞれ。何年生きるのかも人それぞれ。そして皆移り変わるものという事実。

そしてここにもある教え、自然の中に生きている事実。

事実を前に、何に目をむけ、何に身をおいて時間を過ごしますか?

私は、自然の中に身を置き、移り変わりゆく一部として、変わらない移り変わりに誰の何のどんな行いよりも一番、無意識にむしろ勝手に感謝の気持ちが自然とあふれてくるのでこの気持ちをないがしろにせず、近代、近未来の科学的発展をすすむ、政治というり・・・経済至上主義みたいに感じてしまう日本社会の中でここに偏りすぎないようにと目を向け、自然界の日々の移り変わりがぐるぐる廻るように身をおいて時を過ごします。

抹茶黒豆ケーキ

アレンジスイーツ

御節の黒豆が残ってる。そろそろ食べきりたい・・・ので冷蔵庫と相談。。。

よつ葉の無塩バターがある。抹茶がある。NON-GMO飼料の卵がある。棚田の米粉がある。これはパウンドケーキができるぞ♪我が家の食材を見て、自然派コープ基準は常に維持されていることに有り難くなる。そして、日々の料理という仕事はさまざまな能力の糧になっていることにも気が付く。

小さなくらしの一コマにこれほどまでに社会を学べ、発見、思考、表現、想像、分析、仮説、実行、調整、判断、決断、活用・・・等等いろんな人間的能力を使うかと毎回感じるのが、誰かのことを想いつくる料理だなって。

レシピ

■材料

・御節で残った黒豆・・・約100~150g

・米粉・・・・・・・・・80~100g

・抹茶・・・・・・・・・大さじ2

・よつ葉無塩バター・・・約70g

 ※一箱150gの固形バターを約半分より少なめにカットして湯煎して溶かす

・卵・・・・・・・・・・2玉

 ※卵を選ぶのは殻、黄身の色でなく、鶏の飼料と飼育のされている状態を知ってから選んでいます。NON-GMO飼料であることはは私のはずせない選び方です。

・種子島洗糖・・・・・・大さじ3

・アルミフリーベーキングパウダー・・・小さじ1

■作り方

①卵と砂糖をあわせてよく混ぜる

②米粉と抹茶とアルミフリーベーキングパウダーを混ぜる

③卵と砂糖を混ぜた中に溶かしたバターをいれて混ぜる

④②もいれてよく混ぜる

⑤黒豆をいれてあわせる

⑥オーブンシートを敷いたパウンドケーキの型に流し入れる

※この時、2~3回トントンとして空気を抜く

⑦180℃のオーブンで30~40分焼く

⑧粗熱がとれたら型からとりだして常温で冷ます

そして身の回りにあるモノを使って、自分なりに美味しく魅せるコーディネートを楽しんでみてね♡

手間の中にある幸せ

お茶タイムに食べようかと思ったけど、なんかみんなで食べたくて我慢。

晩御飯の後に家族揃って「いただきます」をして頬張る笑顔が嬉しい瞬間。

抹茶が大好きな息子は2個もペロリで食欲がましてきた6歳児にびっくり!!

半分こって食べていた時期がもう終わったんだ・・・

年末年始、食べることが多かったので胃腸をやわらげるほうへ日々の料理もシフトする。調整するって広い目をもって、そこで何かをつかんできて自分という主を、柱ができるイメージ。

2019年のはじまり

2019年のはじまり

あけましておめでとうございます。初春の慶びはいつも自分の置かれた場所での幸福を感じる日となります。

家族そろって日笠山で初日の出を拝むことができました。私たちが当たり前のように呼吸をするようにいかなる時も昇る太陽をみて生かされている有難さを全身で感じました。冷たい空気と白い吐息の中で見る太陽の形、目にする色、光はその相反するような組み合わせの中でより一層心に訴えかけてくるものがあるのかもしれないと感じます。

そのまま曽根天満宮へ初詣に行きました。今年は猪年。毎年干支の絵馬の前で写真を撮りますが、猛進という言葉の前に私は「走らず歩いて進みます」と心の中で自分に語りました。数年前まではぱっと思いつく四字熟語には必ず「猪突猛進」ってのがでてきいていた私ですので、自分自身の中で何か変化を感じています。

今年は地に足つけて「歩」がなんとなく私の中のテーマ・・・

安定感ある秋田大工と安定感ない子どもたちのギャップに私はいつもふりまわされる・・・

静かな風

正月3日間はあたたかく穏やかな小春日和でした。秋田の実家の梅の花は小さな蕾がしっかりと色づいてきていました。子どもたちと凧揚げを楽しもうと外に出るも風が静かで、走っても走っても凧はなかなかあがりませんでした。

それでも愛しい娘は本当に常にいつだって笑顔♡

この笑顔を見ていると普段忘れがちのことに気が付くことが多いです。

2019年、歩き問う

元旦の日本経済新聞トップ記事はおもしろかったです。興味ある方は写真拡大して一読ください。

捕捉でシンギュラリティの意味も掲載しておきます。

平成30年時代を終え、次の30年代について語られる中でやはりブームのように今どこでも目にするAIについての話題がありますね。

技術の進歩はどんどん進み、AIの知性も30年後には格段に進歩しているんだろうな・・・それこそまさに猛進だろうなと誰だって予測がつくと思います。

そのことよりも私が語らいたいと思うことは、この記事の最後に記されていた「人間の定義は技術の進展に応じて変わる」「いま必要なのは自分自身は何者なのかを考えることだ」という文句。

いつも感じることなのですが、人類を問うといえど、「こうすれば自分が確立できる」なんて理論が確定しているわけでも方法論があるわけでもなく、AIに搭載だってされていないですよね。AIと人類の違いは「自分があるかないか」が最大の違いだと感じています。

多様性を認めようと叫ばれる中で、自分を問うこと、まさに自分自身は何者なのかを考えていくことは、今置かれている場所で自分を見つめ、どう生きるかという倫理観を自分で問い考え、語らい、遊び楽しめたらいいなと。AIが注目を集める世の中であるならば、技術の猛進に焦点をあてるばかりでなく、それと同時に同等に人間の知性、人間がもつ知能って何だろうって語らいをしたいなと思うのです。

上記に補足記事写真を掲載していますが、次の30年後にはシンギュラリティ到来と掲載されています。おそらく30年かからない分野もでてくるのだろうと思います。そんなことばかり目に言ってるときっとその危機感や恐怖心が芽生えるのでしょうが、AIが人間に近づくのか、人間がAIに近づくのか近代科学技術を選択し続けてきた人類が己を問うところはここにあるのかもしれないなと記事を読んで思いました。

だとしたら、私はAI分野を語らう時も直面している課題について語らう時も、時に他者に身を置き、他者感覚を要する想像力をもって問い、歩きたいなと思います。

そして私は初日の出を拝みながら生かされている有り難さを感じ、静かな風に平穏な初春を感じる幸せをいただける普遍なる自然の中に確実に自分の身が置かれいてることを忘れず、近代的選択をし続けてきた飽和状態な現代社会の中で生きながらも少しづつ社会がほんの少しでも自然に近づくような生き方をしていこうと、自分の心がぽっとなりました。

2019年、皆様にとって幸多き年となりますように。そして是非、一緒に時を過ごすときはたわいもないことで語らいたいなと思いますので本年度もよろしくお願いいたします(*^_^*)