ふんわり糀家 糀の暮らしshuku

糀の暮らしshuku

ふんわり糀家 認定講師の真瑚先生が自宅教室を開講されました。

先日、生徒さん達と調理ができるようにと折りたたみの作業台を納品させていただきました。どんな折りたたみ作業台にするかをプランさせていただくにあたり、いろんなお話を通して、伝わるものがありました。

発酵の知識やレシピもそうですが、真瑚先生の暮らしを丁寧に過ごす姿勢から伝わってくるのは生き方がそのまま人柄に出ていることでした。

そしていただいた甘酒の美味しさに私も出会った嬉しさと、家族に美味しいよと食べてもらう喜びに通じるとビビビと感じて学びに行ってきました。

一期一会そのもの

水筒で簡単にできる甘酒作りと、甘酒を使ったレシピを学び、決め手の麹の選び方や美味しくなる秘密を教えていただきました。その説明の仕方もわかりやすく、入念な準備がされており、まるで心地よいおもてなしを受けているかのような教室でした。

まさに一期一会の演出でした。

レジュメと手作り柚子ドリンクからのスタート(*^-^*)

そして甘酒を作り、甘酒を使ったレシピを2品作りました。

どちらも家で簡単にできる内容で、実践型です。

テーブルコーディネートもおしゃれでした(*^_^*)

麹でここまで違うかと・・・いうほど甘酒の味って変わります。

麹の暮らし shuku 真瑚先生の発酵料理教室の情報は下記のインスタグラム、ブログ

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お腹の調子が整う暮らし

私は健康って何?って聞かれたら、お腹の調子が整うことだと思っています。ですので生きた調味料、つまり発酵料理は我が家でも欠かせない大切な暮らしを整えるパートナーです。

発酵の世界って本当に人や蔵元や素材や自然環境、暮らしの環境、いろんな要素ですごい変わるなと実感してきました。ですが、心から安心して発酵といえば真瑚先生となれることもとても嬉しいご縁です。

発酵料理教室、楽しく学べるだけでなく、家で実践できます。

是非、体験レッスンからおすすめです。

私は、早速今日作った甘酒で明日の朝ご飯はマンゴー甘酒スムージーを作ります♡明日の朝が楽しみ♪

500mlのスープジャー1つでOKなんて最高ですよね~♪しかも場所とらないし、手軽で嬉しい♪続けられそう♪

真瑚先生♡本当にありがとうございました♪

 

 

同じ夢

落ちていた花

娘が拾ってきたバラの花。

娘:「お母ちゃん。落ちとったのをおじいちゃんと拾った~」

私:「きれいね~。いい香りもする?」

娘:「うーん♡(くるっと一回転する)お水しよっか」

私:「この瓶でもいい?」

娘:「いいよ~♡♡♡」

バレリーナさんが大好きで、リカちゃん人形のお世話に忙しく、絵は紙にはみ出るくらいに描く4歳の女の子。泣くと100m以上離れてても聞こえるほどの泣き声で、スカートが大好きだけど、キュロットとタイツでごまかして膝小僧が怪我まみれにならないように私は努めている。(だって女の子だもん・・・と思いながら)

「さしすせそ」の発音が「たちつてと」になるのに兄より会話が大人びてるのにはいつも驚く。いつも純粋にまっすぐな心で世界をみている私には娘であり小さな女の子。

そんな娘が拾ってきた落ちていたバラの花を食卓に一緒に飾る。

それだけで一気に部屋の印象が変わるから不思議。

同じ夢

向き合うという感じではない。一緒に並行している感覚。純粋にまっすぐに世界をみている兄妹でも向き合いすぎると喧嘩に発展している。同じ夢を持つなら向き合いすぎるでなく並行するように歩いていけばいいのではないのかといつも思う。そこにはなぜか不思議と小さな思いやりがうまれやすい気がする。

同じ目的をむいて並行しているとね。

落ちていた花を飾ろうって一緒に水にさすという同じ行為を果たす。

ここには人によっていろんな目的があるのかもしれない。

水をあげないと枯れちゃうじゃん。

綺麗に飾って楽しもう。

同じ、共通していることは目的とかいう堅苦しい感じのことではなく、価値観とかいう陳腐な言い方でもない、潜在的に潜んでいる何か共通の夢みたいなふわっとしているもの。

 

誰もが持っている潜在的に潜んでいるごく自然な命を慈しむような感情。

ふとした時に表れるのに、普段はいろんな環境要因によって閉まってしまいがちの何か奥にある感情。

心を許した者同士だけみたいな狭いものでなく、花を愛でるみたいに人間も同じ夢をみて並行していければ平和がある気がした。

複雑すぎる社会の中、言葉にし難い蔓延する何か違和感みたいなことを感じる時、家庭の中にあってほしいと願う小さな平和がある暮らしを切に願う。

自然に動かされる娘と同じ小さな夢というか、小さな行為が世界共通の夢のように思えてならなかった。

 

 

 

 

 

 

芽、目、眼

何だかわかりますか?

花芽を見て、後10日程で開花するかなぁ・・・どうかなぁ・・・と想いながら来週にまた会おうね~と後にしました。

枝の皮の様相やつぼみのふくらみ、この季節から桜だと想像がつきますよね。

ドアップで見ると、細かいことによく気が付きます。そしてさらにドアップで見ようとする。ドアップで見て掘り下げていけば、一滴の血液が体の状態を伝えているようにきっと根の状態も花の咲く時期もこの樹のもつ特徴やメッセージを受け止めることができて全体像を把握できるのかもしれません。

掘り下げて理解できるようになるにはどんな濃密な時間を過ごしたかに比例するのかな。それによって瞬時にわかることもあるかもしれません。

それも一つの見方で一つの生き方。

掘り下げてみるのとは別に、離れたところから全体像を捉えてこの樹を見ることもできます。きっと鳥がどこの枝にとまるのかを探してこの樹の全体像を伝えることもあるのでしょう。

見方はいろいろ。

鳥の目、虫の目、魚の目という言い方をすることがありますね。

鳥のように遠くから全体をみる目

虫のように深く、詳細を知る目

魚のように流れを見失わない目

赤ちゃんのような曇りない眼とは違う私は雲煙過眼の境地にたちたいなんて思ってしまう・・・けどそれも、きっと多眼ゆえに養われるものなのだろうな・・・

 

 

冬を越して

根付く

日に当たる時間も短くて、冬の乾燥した空気、冷たい気温に縮こまっても、ぎゅっと引き締まり強くなってました。

徐々にあたたかくなってきた季節に背伸びしたラベンダー。今年は花どれくらい咲くのかな。

ミントは横に横に広がりをもたせて冬を越し、今度は太陽目指すように上へ上へ伸び始めました。

セージはどんどん新しい芽吹きを迎えて、根づいた分、幹がさらに太くなりそうです。

夏頃はとうが立っていたパセリが縮んだように思ってたら

茎が太くしっかりしていて、さらに強くなっていました。

花は美しいです。その花が咲くのは土の中でどれだけ根付き、冬を越し、こうした花が咲ける状態になってからある姿です。そこを見落とさないようにしようといつも教わります。

私は花も好きですが、こうしたプロセスが本当に愛おしい。

気付かれにくい部分であるけれど、ここを知る人で在ろうと思います。

 

花咲け~。何で花さかんの?形そろえなあかんやろ。もっといっぱい咲いたら収穫できるのに~。

時々、人間社会の中にいたら自分がこんな風になる気がして自分で自分に嫌気がさすときがあります。そうならないとダメな気がして・・・

のまれたくないって思ってしまう自分もいるし・・・ぐちゃぐちゃ。

この子たちには不思議とそんなこと微塵も思わないのに。

強くなったね~。花咲いたね~。今年の冬はやっぱり寒かった?あたたかくなってきたね。って感じなのに。

歯がぐらぐらするのはなぜ?

春のお別れ遠足

雨で延期になっていた遠足が今日ということをちゃんと数え待っていた子ども達。朝の寝起きまでよくて準備も早い。年長のお兄ちゃん、お姉ちゃんと最後の行事、お別れ遠足。子どもたちにとっては楽しみの日。いつもより早めのお迎えで今日は歩いて帰ってきた。帰路での子ども達の半分解読必要な話をきく。子ども達って「楽しい」をいつもお裾分けしてくれる。

「こう行って、ここがお家~♪♪♪」

歯がぐらぐら

2日ほど前、「お母ちゃん。歯がぐらぐらする」という一言にやけに胸がじーんとなった私。

子どもの成長がこれほどまでに嬉しい。

母親であることを堪能させてくれる小さな瞬間はなんでこんなに幸せなんかなって。

歯の観察

歯がぐらぐらして、大人の体になっていくよーというサインと私は思ってる。大人の体になるとは子どもを産める状態になっていくということ。ぐらぐらはじまったら、そうやって体の中が成長しはじめているってこと。

前歯(切り歯)が生え変わったら、どんな野菜が自分で噛み切れる。

糸切り歯(犬歯)が生え変わったら、お肉や魚もしっかり食べて消化できる。

奥の歯(臼歯)が生え変わったら、自分の噛む力ですりつぶして食べて消化できる。

人間がどんな食べ物をどんな割合で食べる生き物かも歯が教えてくている。

子どもの歯の間は消化負担を考えながら食べていけばいいということをちゃんと体が教えてくれている。

自分の体を知ることは大事。そんなこともちょっとは話していこうかなって思う。

何を食べさせればいいの?お料理の仕方どうしたらいいの?

歯、見たらわかる。母子手帳はあくまで参考程度で私が信じるのはこうしたおばあちゃんの知恵。

子どもの成長、その子、その子に応じた体の変化見たらいい。

抜けたら・・・さて、どこで投げようか?

下の歯が抜けたら上に向けて投げる・・・懐かしいな(*^_^*)

AIをうみだそうとしている時代

人間力

未来はAIによって職業がなくなるとか言われていることに一筋の光を見出したいと思いませんか?子を持つ親としては・・・

まだ訪れてもいない未来を不安だらけだと語りたくない。

これは私の考えですが、グローバルな視野で、ローカルに生かしていくという気持ちがあります。世界中がつながっているんだから・・・

殴り書きしていた私のメモ整理してたらでてきた、世界の大手企業や主要団体が加盟する世界経済フォーラムで発表されたTOP 10 SKILLS in 2020(2020年に必要なスキル、ランキングトップ10)

1.Complex Problem Solving(複雑な問題解決力)

2.Critical Thinking(批判的思考)

批判的という日本語ですが、否定、非難、攻撃と捉えがちにされる批判の意味ではありません。Criticalって言葉は自分の考えに「本当にこうなのか?」という考えをもつことのことです。

3.Creativity(創造力)

4.Peopole Management(マネジメント力)

5.Coordinating with Others (人間関係調整力)

6.Emotional Intelligence(情緒的知性)

7.Judgement and Decision Making(判断、決断力)

8.Service Orientation(サービスの方向性)

わかりにくいと思うので、以下転載・・・・・・・・・

  • UI(ユーザーインターフェース、見た目やデザイン)
  • UX(ユーザーエクスペリエンス、サービス体験そのもの)

を良いものにする判断力、決断力です。

PDCAを回す力や、実際に消費者に聴いてみるフットワーク、消費者の気持ちになって考えるクリティカルシンキングなど、複合的なスキル。

転載元:https://brave-answer.jp/12840/#outline_2

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

9.Negotiation(交渉力)

10.Cognitive Flexibility(認識の柔軟性)

固定概念にとらわれないという意味です。

 

このTOP10スキル。なんかAIがどこまで進歩するかはわからないけど、人間力という言葉にまとめることができると思いませんか?

人間らしさを問う

人間力、人間らしさみたいなことを聴くことがありますが、イマイチそれって何やねん?って思います。

おもしろいのは、AIやグローバル社会の中で新しい技術をうみだしている世界の大企業などが直面している問題、または、求めているスキルだと読み取れるということと、それと同時に、こうした人材の確保につとめてさまざまなモノ、コト、体験、そして経済活動をうみだしている、または、いこうとしているということ。

ここにはどうもAIには実現できそうにない人間だからこそ問われる力ともいえるのかなと。時代が変われど求められるスキル何て変わるモノ。ルールなんて書き換えられていくものだとは思っていますが・・・

人間力、人間らしさとは何かが見えてくる気がして・・・どうも生物学的な、自然界の一部であり動物であるという一面と、どうも、文明、文化的な渦の中にいて、進化する動物という一面が重なり合っているという過程にいる段階(時代)であること・・・

そういう過程(時代)の中に生きていて、今を見るとおもしろいな~って。

流されていてはどうなのか、私が思う経済主導のこの世の病「自分さえよければ病」にかかっている状態では、AIに飲み込まれるってことだと思うなぁ。

ミヒャエル・エンデのモモの世界は予言書に思えてならない・・・

人が動くときって、自分事と思えたときなんじゃないかと思う。すべてを自分事と思うのは難しくても、自分で考える力があれば、ここを失っていては果たして・・・どうなるのかとも思ったなぁ。

(大志が描いたドラえもんが上達してることにびっくりした!!!)

あれ?私が子どもの頃、ドラえもんって21世紀から来たって言うてなかったっけ?

今は22世紀からって設定みたい???

このTOP10スキル、22世紀?からきたドラえもん(AI?)は持ってる気がした(笑)

 

子どもとお金

おこづかい

LEGOにはまっている大志が、「このLEGOがほしいねん」と言ってきた。家にはいっぱいLEGOのパーツがある。工夫して作ればいい。でも、LEGOの説明書などにはいろんな種類のレゴシリーズの宣伝が載っていて目新しいものを見ると「これもほしい」という欲望を掻き立てられるみたい。

「ほしいなら、お手伝いしてお小遣いを貯めて自分で買ったらどう?」と言ってみた。5歳、男子、理解したのか理解していないのか?私もこんなこというのは早いのか?と思いながら・・・

お金も知らない。お買い物を一人でしたこともない。私が買い物する時に傍でレジでのやりとりを見ているくらいの子にねぇ・・・と思いきや、「お手伝いしたい」と言ってきた。

「よし。めいっぱいさせようではないか」と私もウキウキ。

お手伝いは仕事

お手伝いは晩御飯を一緒に作ることからスタート。でもね・・・自分が食べるご飯を作ってお金をもらうなんてことは仕事じゃない。みんなが「美味しいね~」ってなるようにできてこそだということ。途中で「できない~」って泣き寝入りするのも仕事じゃない。だから、大志には、してみると言ったことが最後までできたら出来栄えによっておこづかいをあげる約束。わかってるかはわからないけど、私も頑固だから曲げない。

2月くらいから始まった「お手伝いでおこづかい」

さて、大志はレゴを買えるまで続けるのかな???

「今日の晩御飯はうどんにする。」と言ってきた。材料を伝えると冷蔵庫からとってくる。出汁をとるための昆布をお鍋に入れる。しょうがをすって、つくねをつくり、うどんをいれて、ぐつぐつなったら水菜をいれて・・・大志の好きな湯葉を最後にちらして、ゆで卵もかざる。

手順を伝えて、大志のセンスにまかせる。

まこから「うわぁ~おいしそうね~。まこちゃんもお野菜食べるで~」って嬉しいお言葉が(笑)

大志、仕事したね~って。

認識の肉付け

大志のおこづかい、一緒に数えたら580円にまでなっていた。

1円玉からはじまり、5円、10円、50円、100円玉が入っている。お札はまだない。

でも、今日の保育園で作ってきた作品の中に・・・

お札があった。お金の認識がはじまっている。お金という認識にこの子はどんな風に肉付けしていくのだろう?

お金って何?って何から教えたらいいのか私にもわからない💦

でもね、自分がした仕事に誰かが喜んで、それでいただくおこづかい。

誰かの役に立って得た対価なら、誰かの役に立つ使い方をしてほしいという親心がふつふつと・・・

まぁ、親心、子は知らずというのは本当だね。

「あんな~。仮面ライダービルド買うねん」ですって。その時はそれ、終わってそうだけどね。

果たしてどう使うのか見物させていただこうっと。

我忘れながら我振り返る

小説の世界

読みだすといろんな登場人物の人生、性格や考え方にふれて、まるでその登場人物になったかのように感情移入して我を忘れる。

それなのに、ふとした描写や一文ではっと我に返り、自分を振り返ることもある。

まるで疑似体験をしたかのような感覚と、自分を俯瞰してみる感覚とが交錯してくるとき、ぽつんと小さくても何かがはじける瞬間みたいなのがある。

物語とは違う小説という世界。

寝不足しても、朝起きやすくなってきた季節にははまってしまう・・・

下があるのに気が付かず買ってないという今晩💦

私って・・・はぁ・・・

今日は寝よう・・・

桃の節句に母として・・・

菜の花畑

友達がSNSに更新していた花さじきの写真の影響で( *´艸`)

菜の花畑に行ってきました。大好きな場所です。休日900円になった明石海峡大橋。前より気軽に行けます。

満開の菜の花畑、あいにくの霞み具合でしたが山の中で森林浴しながら、360℃海の景色が見れます。小説菜の花の沖と風の谷のナウシカを思い浮かべてしまいました。

写真撮影する人が多くて、インスタの勢いをあちこちで感じました。こう撮ると菜の花のじゅうたんですが、

こう撮ると

当たり前ですが、畑なんです。

見方を変えると感じることがありますね。

菜の花じゅうたんは、一期一会だということ。

人の手で手入れがなされ循環していること。

美しいと感じる部分はほんの表面だということ。

 

地球2.9個分

エコロジカルフットプリントという指標をご存知ですか?

この指標によると日本人と同じ生活を世界中の人がしたら、必要な地球の数は2.9個分。

詳しいわかりやすい資料はこの写真をクリックしてご覧下さい。

いろいろこうした指標というのがありますし、ちょっと問題だねということをこうするといいんだよということも書かれています。

ですが、私たちが身近なことにどれだけ直結してピンとくるのか?と考えた時、ぽっかり穴があいたような、ほつれがあるような・・・。まるでリーキーガット症候群みたいって・・・そのほつれは教育の役割大きいのかなと思ってしまう訳です。

 

裸足で遊ぶ

帰りに県立淡路公園の芝生広場。子どもたちは靴を脱いで裸足で走り遊びまわります。アーシングにぴったりです。

一面芝生で裸足でも安心です。気持ちよく利用して、帰る。「来た時よりも美しく」なんて昔教わったことを思い出します。

子どもたちよ。「ありのまま」を掛け違えないでいこうか。自分の個性そのまま大切にすることと、ありのままではなく律していく必要がある生き物が人間だということと・・・

そんなことを思った桃の節句でした。

私は、母として、あなたたちに考えることを提供していきながら、「こういう時には身近なことではこうすればいいんかも。」とか、「あっ!これなら楽しくできるね♪」ってことを一緒にする人で在るからね。私は静かに日々努めますね。

チューリップ

チューリップ

昨年10月も終わる頃、大志は保育園でチューリップの球根を植えました。

「まだでな~い。まだでな~い。」「これが大志のうえたチューリップやで。」「あんなぁ~お水がご飯やねん。」からはじまり・・・

「なんか、大志のんでてこないねん。」ちょっとお友達の植えたチューリップより葉がでてくるのが遅くて、しょんぼりしたこともありました。

葉が出てきたときは、「おかーちゃん!!!みてみ!!!でてきたで!!!」興奮していました。

それでも、なんだか自分の見守るチューリップの成長が少し遅れ気味を時折気にしていました。元気に大きくなるかな~なんて・・・

ところが、最近、ぽこっともうひとつでてきて・・・

 

 

「おかーちゃん!!!みてみ。2つでてきてん。」「大志とまこちゃんやろ」

横でまこは「うわ~かわいいね~」ってバレリーナもどきのダンスをくるりと廻って喜びます。嬉しそうです。

 

やさしい大志、自由奔放なまこ、個性がおもしろい2人です。

「大志、双子ちゃんやったんかな?成長の仕方はちがっても花は咲くんだよ。何色の花が咲くやろうね?

チューリップはこうやって葉がでてくるまでじーっと土の中でしっかり根をはっているんだよ。

球根の時にもうすでに、花が咲く準備ができているんだよ。

だからね、土の中でじっくり栄養をもらったら、水をあげてると、春の太陽によばれるように伸びてくるから。大志も「おーい。おはよう。」って言うてみたらどう?」

信じて見守るって説明難しいけど、なんかこういうことだと思っています。

心配ばかりして代わりに背負い込むことでもなく、何もせずに放置しておくことでもない。可能性をダメにしないこと。

自然界の法則みたいなことからいろいろお手本にさせていただくことが多いです。

今年の春は子どもたちと「何色の花が咲いたね~」ってチューリップが咲くのが楽しみの一つになっています。