子どもとお金

おこづかい

LEGOにはまっている大志が、「このLEGOがほしいねん」と言ってきた。家にはいっぱいLEGOのパーツがある。工夫して作ればいい。でも、LEGOの説明書などにはいろんな種類のレゴシリーズの宣伝が載っていて目新しいものを見ると「これもほしい」という欲望を掻き立てられるみたい。

「ほしいなら、お手伝いしてお小遣いを貯めて自分で買ったらどう?」と言ってみた。5歳、男子、理解したのか理解していないのか?私もこんなこというのは早いのか?と思いながら・・・

お金も知らない。お買い物を一人でしたこともない。私が買い物する時に傍でレジでのやりとりを見ているくらいの子にねぇ・・・と思いきや、「お手伝いしたい」と言ってきた。

「よし。めいっぱいさせようではないか」と私もウキウキ。

お手伝いは仕事

お手伝いは晩御飯を一緒に作ることからスタート。でもね・・・自分が食べるご飯を作ってお金をもらうなんてことは仕事じゃない。みんなが「美味しいね~」ってなるようにできてこそだということ。途中で「できない~」って泣き寝入りするのも仕事じゃない。だから、大志には、してみると言ったことが最後までできたら出来栄えによっておこづかいをあげる約束。わかってるかはわからないけど、私も頑固だから曲げない。

2月くらいから始まった「お手伝いでおこづかい」

さて、大志はレゴを買えるまで続けるのかな???

「今日の晩御飯はうどんにする。」と言ってきた。材料を伝えると冷蔵庫からとってくる。出汁をとるための昆布をお鍋に入れる。しょうがをすって、つくねをつくり、うどんをいれて、ぐつぐつなったら水菜をいれて・・・大志の好きな湯葉を最後にちらして、ゆで卵もかざる。

手順を伝えて、大志のセンスにまかせる。

まこから「うわぁ~おいしそうね~。まこちゃんもお野菜食べるで~」って嬉しいお言葉が(笑)

大志、仕事したね~って。

認識の肉付け

大志のおこづかい、一緒に数えたら580円にまでなっていた。

1円玉からはじまり、5円、10円、50円、100円玉が入っている。お札はまだない。

でも、今日の保育園で作ってきた作品の中に・・・

お札があった。お金の認識がはじまっている。お金という認識にこの子はどんな風に肉付けしていくのだろう?

お金って何?って何から教えたらいいのか私にもわからない💦

でもね、自分がした仕事に誰かが喜んで、それでいただくおこづかい。

誰かの役に立って得た対価なら、誰かの役に立つ使い方をしてほしいという親心がふつふつと・・・

まぁ、親心、子は知らずというのは本当だね。

「あんな~。仮面ライダービルド買うねん」ですって。その時はそれ、終わってそうだけどね。

果たしてどう使うのか見物させていただこうっと。

インテリアグリーン

インテリアグリーン

育てる楽しみ。季節をきりとり眺める楽しみ。

床にプランターをどーんと置く。天井から吊るす。壁に埋め込む。棚板に小さく飾る。小物や雑貨とあわせる。ドライフラワーにする。生け花にする。

どんな方法にしても、暮らしの中にグリーンがあると人は豊かな気持ちになることがどうもDNAに刻み込まれているのではと思ってならないです。

私の短い人生の中で、植物があるくらしは嫌な気持ちになるという人に出会ったことがありません。

逆にポンとあるだけで、やさしい心で会話がはじまることがほとんどな気がします。

子ども達でさえ、教えたわけでないのにいつの間にかプレゼントしてくれます。

「嬉しい気持ちになるな~」なんて言います。

自由と感謝

ちょっと飾るだけでいい。身近に命を感じる暮らしは愛おしい。

我が家では先日の菜の花畑の菜の花が一気につぼみがふくらみ花咲いた。

花咲く瞬間は足並みそろえたみたいに咲きだす。小さな変化を見落とさずに感じられる心のゆとりを持っていたい。

水を吸う勢いがすごい。生命力を感じる。楽しみを与えてくれる。五感を刺激してくる。

自由であることも感謝そのもの。

我忘れながら我振り返る

小説の世界

読みだすといろんな登場人物の人生、性格や考え方にふれて、まるでその登場人物になったかのように感情移入して我を忘れる。

それなのに、ふとした描写や一文ではっと我に返り、自分を振り返ることもある。

まるで疑似体験をしたかのような感覚と、自分を俯瞰してみる感覚とが交錯してくるとき、ぽつんと小さくても何かがはじける瞬間みたいなのがある。

物語とは違う小説という世界。

寝不足しても、朝起きやすくなってきた季節にははまってしまう・・・

下があるのに気が付かず買ってないという今晩💦

私って・・・はぁ・・・

今日は寝よう・・・

なつかしいパン

10年以上前から・・・

私、神戸、三宮にいく機会があったら必ず寄るところがあります。

さんちか7番街にあるハウネベーヤというパン屋さんです。お店は小さくて、通り過ぎてしまうような感じですが、いつ行っても変わらずある玄米パンと十五穀米パンが嬉しいんです。

大学入学して間もないころ、出会ったパン屋さんです。玄米パン、十五穀米パンを買って、美味しいなぁ~。やさしい味だな~。って感じたことが忘れられず残ったんですね。玄米パン、十五穀米パンを選んだのは、「お米がパンなら腹持ちするかも」という理由でした(苦笑)

もともとごはん派であまりパンを買って食べることがなかったのですが、(パンはすぐにお腹がすくから貧乏時代には、パンは痛い出費でした。)

動機はともあれ、食べた時にパンが美味しいって思った出来事だったんです。単にパンが久しぶりだったからかもしれませんが・・・

美容学校に通いだした妹が神戸に来た時に、「ここのパン美味しいねん」ってせっかく神戸に来たから、この感動を分かち合いたいと食べてもらったら、

「まぁって昔からおばあちゃんみたいなん好きよな」

としれっとばっさり言われてチャンチャンって気分だったこともあります(笑)(おねーちゃんと呼ばれず、まぁと呼ばれています)

(これは、おばあちゃんみたいなのか???)

それでも三宮に行ったら、玄米パンと十五穀米パンを買うのが楽しみで、変わらない味が嬉しいのと、そして、貧乏時代に出会った忘れられないパンだから今も食べられることの感謝を思い出すんです(笑)

今では・・・

先月、住宅ローンアドバイザーの試験で三宮に行った帰りにもやっぱり寄りました。

いろいろあるけど選ぶのはやっぱり玄米パンと十五穀米パン。

今では、夫の両親にもお土産にします。まとめて多くを買うことはしません。明日の朝に食べる分だけ。

朝食にだすと今は子ども達のおかげであっという間に私の分がなくなります。

たまにの楽しみが味わうどころか、噛みしめるどころか、堪能するどころか、一瞬で目の前からなくなるんです。

一つを食べるどころか、一切れを食べられるかという今ですがそれもまた想い出になりそうですね。

私にとって三宮でパン屋さんと言えば、ハウネベーヤの玄米パンと十五穀米パンです。

人気だからか、焼きたてで買えることが多いです♪

食でいつも思うのは、安心安全な材料も大事ですが、そればかりではないということです。

ここのパンは材料も厳選されていますが、それは後で知ったことです。

今では子ども達に材料もですが、「おいしいやろ~」って一緒に食べられる時間を大切にしたいです。

 

バーテンダー??

ジュースBar

バーテンダー、大志。

シークワーサーしぼり汁100%。高砂はちみつセッティング。ここ最近は蒸留水でなく、なんと私の真似して炭酸割りをはじめよりました。

私が自家製梅酒をちびりちびり炭酸で割って一杯やってたので💦

シュワシュワ~♪♪♪って・・・うれしそうーに(笑)覚えたね~。

まぁ、一杯やろうか。

子どもってジュース大好き。糖分、エネルギー欲するのはよーくわかります。

ジュースはジュースでも何が入っているものを飲ませるのかは考えたほうが本当にいいですね。小さい体です。一生懸命体がつくられていますから。液体にとけたら体に浸透ダイレクトです。

飲みすぎダメダメはしたくない。

ほどほどに、OKだせる程度どれくらい?何なら楽しく飲める?

難しく考えずに飲むなら大人がお酒のむのと同じ感覚で、子ども達だって一緒にジュースでかんぱーいって楽しみたいよなぁ~。

我が家でジュースと言えば

柑橘系果汁(シークワーサーしぼり汁、レモンしぼり汁など)と水(我が家は蒸留水)を2:8くらいで割って、ほんの少しの蜂蜜をティースプーンで混ぜて混ぜながら飲むというスタイルが主流です。

これを今ではすっかり自分で作る大志です。

 

「まこちゃんもいるかぁー?」ってつくるところがやさしいね(*^_^*)

「おかーちゃんもー」って言ったら、「えっ!お酒のんだやん」と言われてしまいます💦

はっはい・・・そうですね・・・おかーちゃんがまずは1杯までにしとかないとね💦

示しがね・・・ちゃっかりしているバーテンダーです。

桃の節句に母として・・・

菜の花畑

友達がSNSに更新していた花さじきの写真の影響で( *´艸`)

菜の花畑に行ってきました。大好きな場所です。休日900円になった明石海峡大橋。前より気軽に行けます。

満開の菜の花畑、あいにくの霞み具合でしたが山の中で森林浴しながら、360℃海の景色が見れます。小説菜の花の沖と風の谷のナウシカを思い浮かべてしまいました。

写真撮影する人が多くて、インスタの勢いをあちこちで感じました。こう撮ると菜の花のじゅうたんですが、

こう撮ると

当たり前ですが、畑なんです。

見方を変えると感じることがありますね。

菜の花じゅうたんは、一期一会だということ。

人の手で手入れがなされ循環していること。

美しいと感じる部分はほんの表面だということ。

 

地球2.9個分

エコロジカルフットプリントという指標をご存知ですか?

この指標によると日本人と同じ生活を世界中の人がしたら、必要な地球の数は2.9個分。

詳しいわかりやすい資料はこの写真をクリックしてご覧下さい。

いろいろこうした指標というのがありますし、ちょっと問題だねということをこうするといいんだよということも書かれています。

ですが、私たちが身近なことにどれだけ直結してピンとくるのか?と考えた時、ぽっかり穴があいたような、ほつれがあるような・・・。まるでリーキーガット症候群みたいって・・・そのほつれは教育の役割大きいのかなと思ってしまう訳です。

 

裸足で遊ぶ

帰りに県立淡路公園の芝生広場。子どもたちは靴を脱いで裸足で走り遊びまわります。アーシングにぴったりです。

一面芝生で裸足でも安心です。気持ちよく利用して、帰る。「来た時よりも美しく」なんて昔教わったことを思い出します。

子どもたちよ。「ありのまま」を掛け違えないでいこうか。自分の個性そのまま大切にすることと、ありのままではなく律していく必要がある生き物が人間だということと・・・

そんなことを思った桃の節句でした。

私は、母として、あなたたちに考えることを提供していきながら、「こういう時には身近なことではこうすればいいんかも。」とか、「あっ!これなら楽しくできるね♪」ってことを一緒にする人で在るからね。私は静かに日々努めますね。

チューリップ

チューリップ

昨年10月も終わる頃、大志は保育園でチューリップの球根を植えました。

「まだでな~い。まだでな~い。」「これが大志のうえたチューリップやで。」「あんなぁ~お水がご飯やねん。」からはじまり・・・

「なんか、大志のんでてこないねん。」ちょっとお友達の植えたチューリップより葉がでてくるのが遅くて、しょんぼりしたこともありました。

葉が出てきたときは、「おかーちゃん!!!みてみ!!!でてきたで!!!」興奮していました。

それでも、なんだか自分の見守るチューリップの成長が少し遅れ気味を時折気にしていました。元気に大きくなるかな~なんて・・・

ところが、最近、ぽこっともうひとつでてきて・・・

 

 

「おかーちゃん!!!みてみ。2つでてきてん。」「大志とまこちゃんやろ」

横でまこは「うわ~かわいいね~」ってバレリーナもどきのダンスをくるりと廻って喜びます。嬉しそうです。

 

やさしい大志、自由奔放なまこ、個性がおもしろい2人です。

「大志、双子ちゃんやったんかな?成長の仕方はちがっても花は咲くんだよ。何色の花が咲くやろうね?

チューリップはこうやって葉がでてくるまでじーっと土の中でしっかり根をはっているんだよ。

球根の時にもうすでに、花が咲く準備ができているんだよ。

だからね、土の中でじっくり栄養をもらったら、水をあげてると、春の太陽によばれるように伸びてくるから。大志も「おーい。おはよう。」って言うてみたらどう?」

信じて見守るって説明難しいけど、なんかこういうことだと思っています。

心配ばかりして代わりに背負い込むことでもなく、何もせずに放置しておくことでもない。可能性をダメにしないこと。

自然界の法則みたいなことからいろいろお手本にさせていただくことが多いです。

今年の春は子どもたちと「何色の花が咲いたね~」ってチューリップが咲くのが楽しみの一つになっています。

 

弥生

お朔日参り

仏教を信仰する両親のもとで育ちました。3姉妹の私ですが、姉妹全員沙羅双樹からいただいた沙を名前につけているとお父さんは言うてました。

なので、物心ついたときからお腹が痛くなった時、緊張で心臓飛び出そうになるのを落ち着かせたい時とかに、知らず知らず「南無妙法蓮華経」と心の中で唱えるのが体に染みついています。

多少のお経も意味はわかっていませんが、何も見なくても音読できる程記憶しています。日々熱心に唱えているわけでもないのに、子ども時代の影響ってすごいですね。

それなのに、今の私は近所だからという理由で毎月1日に行くのはお宮さんです。

子どもたちはカトリック系のキリスト教保育園に通っています。まこはご飯いただきますの時、時々思い出したかのように手を握りしめて目を閉じて「天のお父様~・・・アーメン」とお祈りすることもあります。

ごちゃまぜで信仰も何もないと言われるかもしれませんが、今月も行ってきました。

明後日に梅祭りがある曽根天満宮です。2~3割ほどの開花具合。

蕾があちこちでふくらんで、まん丸とかわいらしくて( *´艸`)

きっと時期が来たらポンポンポンとリズムよく咲くんだな~って小さな音の花火を想像しました。

 

年月の上に

感謝と近況報告、そして私なりのささやかな誓いを伝えた後、毎月来るお宮さんでもその時によって心が赴くところが全然ちがいます。

今日はこの直線美に見入ってしまいました。

近づくと、冬目と夏目でできた波が目に飛び込みます。やわらかい夏目が風雨にさらされ、陽にあたって痩せて、冬目はじっと耐えたように黒く浮き出ています。写真でわかりにくいですが凸凹しています。

まるで水が流れる道のようです。

 

人の手が入っても何故、永く自然にとけこみ、こうして感性を刺激され、朽ち果てる時もまた還っていくのか、私が生きがいを感じることの鍵が詰まっている気がしてならないんです。

年月の上に成り立っている姿は人もまた同じで、そう思うと神様、仏様がよくわかっていない私はご先祖様に感謝の念を抱きます。

ため息を深呼吸に

今日は朝一にわざわざ税務署に現金を持って、確定申告書を提出してお金を払ってきました。1年一生懸命真面目に働いた上で納める大切なお金が税金へと変化する瞬間です。昨今はe-taxを強くすすめられます。私も頑固ですね💦8年目の今年も現金もって納付してきました。

お金に羽がはえているのが見える瞬間です。

私には選挙権がないので、せめて税金払うときくらい、きっとこの微々たる税金でも人の役に立ちますようにという気持ちは毎年のせさせてください。

なーんてことは窓口担当の人に言うはずもないですが・・・

さて、ごちゃごちゃ気にしてため息ばかりしていた自分に卒業して、久しぶりのブログを再開していきます。

またお付き合いいただきましたら、嬉しいです。

笑と恩

ふりがな

私がこの造語にふりがなをつけると「笑み」「恩」という字になった。なぜ?と言われてもそう見えたんだから説明ができない。ただ、私は死ぬことに恐怖は感じない。大好きな人たちのところに行けるのなら別にいいと自分の人生自暴自棄のようになっていた。母を亡くした20年前から。

母が亡くなったときは、「43歳という若さで」父が亡くなったときは「51歳の若さで」死を惜しみ残された私たち3姉妹のことを憐れむ人もいた。同情すると言わんばかりの言葉をかけられるも私にはどこか違和感だった。虫唾が走るようなことも言われた。「呪われているのでは」とか「無理してたからやろ」とか「保険金で大丈夫や」とか。両親は保険をかけて私たちに財産を残すようなタイプではない。別に呪われているなんて思ったこともない。無理して生きていたとも思ったことがない。大人って気持ちが悪いと思っていた。それなのに16歳の私は「私が良い子でなかったからかな」と意味もなく自分を責めた。どう自分の気持ちを言葉に表していいのかわからなかった。湧き上がる感情はたくさんあるけど混乱している心を表にださないように「潔く」しておくことで鎧をかぶり自我を隠していた。

いつも楽しそうに笑いながら自分たちの夢を語る両親だった。私はそれがワクワク楽しくて両親の前では純粋な笑顔でいられた。私もその中の一人として生きている実感。私の好奇心をおさえられることはなかった。両親には感謝しかない。いっぱい叱られたことも含めて、いつ振り返っても「ありがとう」しかない。

もっと一緒にいたいし、いっぱい教えてほしいことも山ほどあるのに「なんで死んだの?」って百万回以上、もっとかもしれない、繰り返し問うたところでしっくりくる答えも見つからないし、言葉にも出会わない。ただ、この20年間、「お母さんだったらどうする?お父さんだったらこう生きたかった?」という自問自答を繰り返してきたように思う。

看取る

看取るという言葉には手がある。私はお母さん、お父さんの最後の時を看取った。やわらかく温かかった手も頬もだんだん固く冷たくなる。お母さんを看取った時もお父さんを看取った時も私一人だった。どちらも看取る前に私は心の中で2人に声をかけた。「大丈夫だよ。心配しないで。ラクにしていいよ」って。死んでほしいという意味ではない。ただ、目の前の2人にそう言わされているようにも思ったほど。だけど、これが、私がそう言ったからかと自分を責めることにもつながり苦しかった。

肉体が亡くなる最後の時、二人とも冷たくなっていくのに笑みがこぼれていたのが鮮明で解放感ある綺麗な顔だったことが記憶にある。それなのに火葬場のスイッチを入れたことは今でも振り返ると震えるほど人生で一番苦しい行為だった。

私は両親の死を乗り越えられていない。いつも自分の選択の軸に両親が登場するのに、メッセージがいつもあるのを感じるのに乗り越えるって何を持っていうのか全くわからなかった。なぜこうにまでなるのか、説明ができなかった。映画の後の長谷川ひろ子監督の講話の中で「24㎥の529倍ものエネルギーをもらうことになる。これを生命のバトンという」と話があった。あーそうか。私はバトンを受け取り持っているからか・・・と素直に納得した。ただそれが重く感じていた。重くて、だけど私には大切で、それをどう表現して生きていったらいいのだろうと考えてきた20年間だった。

生前49日

人は不慮の事故、自然災害などの遭遇、人災、自殺、病死、老衰、どんな死を迎えるにしても必ず死ぬ前の49日というのが存在するときいた。思えばお母さんもお父さんにもあった。人生のシナリオを自分で描いていると、どんな死であろうと。そうだと思った。死は転換するだけ。魂が見える形で生まれて生というのであれば見えない形に転換するのが死であって魂はあるのだと。妙に納得する。私という見える形での生は他ならぬ両親の魂のおかげであるからと。私は自分が感じている感謝をただ伝えたいだけで、自分も死んで同じ世界に行ったらいいのか、それでは怒られる気がしてずっと二人ならどう思う?どうする?と代わりになれるわけでもないのに・・・自分がやりたいと思うことでさえ、「こうしたいけどいいかな?」と躊躇してきた気がする。

上映会と講和が終わり、長谷川ひろ子監督の本を購入し、サインをいただくときに一人で看取ったことを伝えたら「集中して渡したかったのだね」と言われた。それが重たかった。というと、「もったいない」と言われた。この本の紹介で一番伝えたいこととつながった。不思議だけど、27日という日付はおばあちゃんの命日だからおばあちゃんのことがよぎる日。おばあちゃんがいたから見える形で生まれてきたと言ってもいい私には、これが単なる偶然でないなと思えた。

死とは乗り越えるものではないと思えた。一緒にいるでいいんだなって。

I wanna give back smile to my parents.

―2018年1月27日 TOTOリモデルクラブ主催の自主上映会「いきたひ」、長谷川ひろ子監督による臨終ワークと講和を聴講して

パラダイムシフト:生と死は魂の転換にすぎない。

今年のえべっさん

15分クッキング

リアル15分クッキングの紹介です。

家から帰ってきて、野菜を洗い、一口大にカットします。無農薬野菜は水で土やほこりを洗うだけなので皮むきも必要ありません。むしろ皮に栄養がありますし。

さすがに玉ねぎの皮はむきますが、それでもせいろ蒸しにセットするまで3分もかかりません。

せいろ蒸しで蒸して10分くらい。

お腹を空かして待っていた子ども達に「完成~」ってふたをあけると「ほくほくや~」って。写真にとるとカメラが曇ってますね。

これを自家製柚子味噌につけていただきます。先に野菜をいただきながらこの間に神山鶏のささみを蒸しています。昨日漬けておいた塩レモン漬けの大根とカクテキを添えて、私は自家製梅酒を1杯✌

蒸している間は帰ってきてからの荷物を片付ける、晩御飯のセッティングなどしながら子ども達から「今日はお父ちゃんとえべっさん行ったで」と地元の曽根天満宮でがんじきを頂戴してきてちゃんと飾ってありました。

手間をかけるところ、省くところ

私はこだわりやさんです。これは子どもの時から「こだわるな」って言われ続けてきた私の他人からの評価と受け取っています。自分ではこだわりやさんという自覚があまりなかったのですが、そう言われることが多いのでこれからはいただいてきた評価であるし「私はこだわりやさんです」と胸をはって言うつもりです(笑)

私のこだわりの一つは手間をかけるときはかけておくけど、後は手間を省くという徹底したずぼらな性格だと思っています。ですが、省くところが自分が大切に思うことであっては嫌なので、手間をかけるツボをおさえておくという感じです。

無農薬の野菜があることも、自家製柚子味噌を作れるときに作っておくことも、せいろ蒸しがすぐにとりだせるようにしておくことも、帰ってきてキッチンに立ってすぐに調理にとりかかれることも全ては惜しまない手間ですが、そうすることで生み出される時間ができてズボラができるという具合です。

こうした習慣は日々の家事という習慣の中で身につけてきた私なりの暮らしの知恵です。つまり仕組み化を積み重ねてきた結果ある今という状態です。

「大志の好きなお肉か~?」「まこちゃん、これつけて人参食べれるで」って聞きながら、朝に私の代わりにお願いねと頼んでおいたえべっさんへのお参りという任務を果たした話も聞きながら、皆でいただく晩御飯に残り物には福があるんだと思えた今年のえべっさんでした。

というのも、毎週日曜日は食材おさらいDAYなので残り物晩御飯という訳でしたので~💦

美味しいご飯を食べて、冬に裸足で過ごせる我が家があることが何より自分を整えてくれます。

家っていいね(*^_^*)

**********************ものぞいてみてください♪

新年あけましておめでとうございます。本年度もよろしくお願いいたします。

この画像は現在、ホームページ作成でお世話になっておりますゾロアスタの高橋ご夫妻が新年バージョンにと作成してホームページのトップ画像を編集してくださいました。ホームページに訪れる人の目線での作成としてご尽力いただき、私たち夫婦は信頼しておまかせさせていただき、またこうしたサポートをしてくださっています。

新年早々から本当にありがとうございます。今年も感謝からのスタートになりました。

♦お片付けタイプ診断 是非チェックしてください♡

私ってどんなタイプ?簡単アドバイス付き診断です。自分のタイプを知ることからお片付けはじめてください。

お片付けの悩み、収納の仕方など無料相談受付中です。お気軽にお問合せ下さい。

♦家づくりへの第一歩!

   家づくりが楽しくなる!べーすしーと無料作成します。

*******************