2019年のはじまり

2019年のはじまり

あけましておめでとうございます。初春の慶びはいつも自分の置かれた場所での幸福を感じる日となります。

家族そろって日笠山で初日の出を拝むことができました。私たちが当たり前のように呼吸をするようにいかなる時も昇る太陽をみて生かされている有難さを全身で感じました。冷たい空気と白い吐息の中で見る太陽の形、目にする色、光はその相反するような組み合わせの中でより一層心に訴えかけてくるものがあるのかもしれないと感じます。

そのまま曽根天満宮へ初詣に行きました。今年は猪年。毎年干支の絵馬の前で写真を撮りますが、猛進という言葉の前に私は「走らず歩いて進みます」と心の中で自分に語りました。数年前まではぱっと思いつく四字熟語には必ず「猪突猛進」ってのがでてきいていた私ですので、自分自身の中で何か変化を感じています。

今年は地に足つけて「歩」がなんとなく私の中のテーマ・・・

安定感ある秋田大工と安定感ない子どもたちのギャップに私はいつもふりまわされる・・・

静かな風

正月3日間はあたたかく穏やかな小春日和でした。秋田の実家の梅の花は小さな蕾がしっかりと色づいてきていました。子どもたちと凧揚げを楽しもうと外に出るも風が静かで、走っても走っても凧はなかなかあがりませんでした。

それでも愛しい娘は本当に常にいつだって笑顔♡

この笑顔を見ていると普段忘れがちのことに気が付くことが多いです。

2019年、歩き問う

元旦の日本経済新聞トップ記事はおもしろかったです。興味ある方は写真拡大して一読ください。

捕捉でシンギュラリティの意味も掲載しておきます。

平成30年時代を終え、次の30年代について語られる中でやはりブームのように今どこでも目にするAIについての話題がありますね。

技術の進歩はどんどん進み、AIの知性も30年後には格段に進歩しているんだろうな・・・それこそまさに猛進だろうなと誰だって予測がつくと思います。

そのことよりも私が語らいたいと思うことは、この記事の最後に記されていた「人間の定義は技術の進展に応じて変わる」「いま必要なのは自分自身は何者なのかを考えることだ」という文句。

いつも感じることなのですが、人類を問うといえど、「こうすれば自分が確立できる」なんて理論が確定しているわけでも方法論があるわけでもなく、AIに搭載だってされていないですよね。AIと人類の違いは「自分があるかないか」が最大の違いだと感じています。

多様性を認めようと叫ばれる中で、自分を問うこと、まさに自分自身は何者なのかを考えていくことは、今置かれている場所で自分を見つめ、どう生きるかという倫理観を自分で問い考え、語らい、遊び楽しめたらいいなと。AIが注目を集める世の中であるならば、技術の猛進に焦点をあてるばかりでなく、それと同時に同等に人間の知性、人間がもつ知能って何だろうって語らいをしたいなと思うのです。

上記に補足記事写真を掲載していますが、次の30年後にはシンギュラリティ到来と掲載されています。おそらく30年かからない分野もでてくるのだろうと思います。そんなことばかり目に言ってるときっとその危機感や恐怖心が芽生えるのでしょうが、AIが人間に近づくのか、人間がAIに近づくのか近代科学技術を選択し続けてきた人類が己を問うところはここにあるのかもしれないなと記事を読んで思いました。

だとしたら、私はAI分野を語らう時も直面している課題について語らう時も、時に他者に身を置き、他者感覚を要する想像力をもって問い、歩きたいなと思います。

そして私は初日の出を拝みながら生かされている有り難さを感じ、静かな風に平穏な初春を感じる幸せをいただける普遍なる自然の中に確実に自分の身が置かれいてることを忘れず、近代的選択をし続けてきた飽和状態な現代社会の中で生きながらも少しづつ社会がほんの少しでも自然に近づくような生き方をしていこうと、自分の心がぽっとなりました。

2019年、皆様にとって幸多き年となりますように。そして是非、一緒に時を過ごすときはたわいもないことで語らいたいなと思いますので本年度もよろしくお願いいたします(*^_^*)