感謝と愛はセット

連日投稿した続きですが、今日改めて理解できたことが少しあるのでまとめます。
昨日は「嫌われる勇気」を読んで、自分の不器用な部分を好きになれない、受け入れていない、そして自分を愛せていないことに気づきました。
今日そのことを考えていて、この前紹介した「遺伝子スイッチ・オンの奇跡」という本の
「感謝と愛はセット」「感謝を繰り返すことで歯車が噛み合い動き出す」という意味がわかってきました。
まず、心を込めて「ありがとう」を連呼することで、自分の「足りているもの」にたくさん気づきます。
ここからは推測ですが、
「自分はたくさん足りている」と気づくとありのままの自分を受け入れることができ、
自分に自信を持つことができ、
自分を好きになり、
自分を愛すること、周りを愛することができるようになる。
ということなんだと思いました。
自分をはじめ自己受容できていない人は、感謝する習慣を身につけることで自分も周りも無理なく愛すことができるのではないかと思います。
その方法として、まだやってみたばかりですが、「ありがとう」を連呼する方法が良いと思います。

愛が大切だと思った経緯

アドラー心理学「嫌われる勇気」を読みながら、それとはそれほど関係ないことかも知れませんが、なぜ自分が人生において「愛」が大切だと思ったのかふと思い出し少し整理できたのでまとめてみます。
そもそものきっかけは、肝臓への転移が見つかりその後の生存率の低さに命の危機を感じたのが始まりです。
残される家族への心配もありますが、なにか満たされない気持ちのまま死んでいくのではないかという虚しさのようなものを感じていました(決してマイナスな気持ちばかりでもなかったですが)。
「この程度で人生が終わる」
「ここで人生が終わるかも知れないとわかっていたら、もっと違うことを何も恐れず経験出来てたんじゃないだろうか」
しかし地位や名誉や収入をあの世に持っていけるわけではないので、そういうものではないような気がしました。
「なにか成し遂げた」とかとも少し違います。
少し臭いセリフですが、同じ時代、同じ場所で共に生きていながら、満たされない気持ちで自分ひとり人生を終える、この物足りなさは「自分への愛」ではないかということを感じてたように思います。
自分が可愛いのですが、しかしそれでもそんなに自分が好きでなかった、愛してなかったのかも知れないと思います。
「嫌われる勇気」に出てくる「自己受容」(ありのままの自分を受け入れること)が出来てなかった。
そもそも、誰しも命の尊さは同じであって欲しいです。世の中にたくさん貢献した人だけでなく、不器用で失敗ばかりした人も、同じように幸せに死ぬ権利があって欲しいです。不器用な人は幸せでないなんて悲しいですし。
幸せを感じながら死ぬには、どんな人も愛される必要があるように思います。自分からも周りの人たちからも。
当然それは死ぬときだけでなく日頃からです。日頃から自分や周りに愛されて幸せを感じて欲しい、自分自身そういう人生にしたい。
簡単に言うと、愛に飢えているだけなのかも知れませんが。
臭いセリフで人生わかったようなこと書いてすみません。上手く説明出来てないかも知れませんが今のところこんな考えです。
とりあえず昨日投稿した感謝することを続けていきたいと思います。

「ありがとう」の力

先日、キリスト教のシスターである叔母からメッセージカードと本を頂きました。
昔からその叔母とは滅多に会うことがないのですが、僕が癌になったことをずっと気にかけてくれていたようです。
2冊頂いた本のうち1冊は、余命1カ月の末期癌から回復された方が書かれた本で、この手の内容の本は何冊か読んだのでもういいかなぁという気持ちでしたが、今読書中のアドラー心理学の「嫌われる勇気」が結構頭を使うので休憩がてらというか、気分転換に読んでみました。
余命宣告された方の経験談だけあって、また自分もそれに近い経験をしているので引き込まれるようにスラーっと読んでしまいました。
その本がこれ。「遺伝子スイッチ・オンの奇跡」
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苦しい闘病中に出会った「生命の暗号」という本に感化され、自分の体の細胞に毎日何万回も「ありがとう」と感謝の言葉をかけ続けた結果、今ある幸せに気づいたり、死にたくなるほど痛かった治療が痛く感じなくなったり、手術出来ないほど散らばった癌が無くなったりという奇跡のような話です。人の遺伝子の95%は眠っていてそれを目覚めさせたそうです。
そんな話信じられない人もいるでしょうが、気持ちの持ち方ひとつで免疫機能が活性化し病気が治ることは常識になりつつあるように思います。
なかでも、「人は感謝と愛を学ぶ為に生きていると確信した」という一文が印象的で、自分も含め病気などによって死に直面する経験をした人は同じような感覚を持つのだなぁと思いました。(たまたまかも知れませんが)
「ありがとう」と心のなかで何万回もつぶやくことで感謝の気持ちが湧き出てくるということなので、早速今日仕事しながらやってみました(笑)
何百回程度ですが、それでも効果がありました。身の周りの全てがプラスに思えてきます。
道具ひとつひとつ、材料、今している作業、仕事があること、仕事ができること、体が何不自由なく動くこと、生きていること、そして目の前のゴミにまで(笑)全て。
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食事療法中で野菜しか食べれない、ではなくて、腹が減ったら当たり前に飯が食えること。体に優しく必要な栄養がとれること。
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現場のスペースの一部を占領して時々邪魔になる道具の山も、その道具があるお陰で仕事が出来ているということ。
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大小様々な大きさの鑿(のみ)があること、またそれを作った鍛冶屋さんのお陰で作業ができること。
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無垢の木材を使って仕事が出来ること、それを用意してくれた材木屋さん。
ゴミがあるおかげでそれを掃除することで一息入れることが出来ること。
大袈裟かも知れませんが、いい波動で仕事をすることで周りにも影響し、またお客さんがその部屋で気持ち良く過ごし、その気持ちいい波動が周りの人にまで影響するかも知れないこと。
あることに「ありがとう」と思えばそこにある「ありがたい面」に自然と気づきます。
また「ありがとう」と思った分だけそれに気づきます。
「足りるを知る」と言いますが、普段なかなかそんな気持ちにばかりなれるわけではないですが、「ありがとう」と何度も思い続ければ普段気づかない「足りているもの」にたくさん気づきます。
それを簡単に実感出来る具体的な良い方法だと思いました。
著者は余命宣告からの十年間、ただ目の前の毎日に心から感謝して、一瞬一瞬を大切に過ごしてきたそうです。
この方の考えでは、愛と感謝はセットのようです。感謝を繰り返すことで幸せになり、自分を愛すことができ、自分以外の人やものごとを愛すことができるというように歯車がうまく噛み合い動き出すそうです。
本書の最後のほうは「愛」という言葉が何度も出てきますが半分くらいしかちゃんと意味が理解できませんでした。
毎日「ありがとう」を何度も繰り返し理解を深めていきたいと思いました。
仕事帰り、車線変更を繰り返しながら追い抜いていく車がいましたが、「ありがとう」を心の中でつぶやいていたので、「反面教師になってくれてありがとう」と思いました(笑)
そんなことが自然に思える「ありがとう」の力は凄いです。

第34回職人起業塾

昨夜、神戸市西区のすみれ建築工房さんで毎月無料で開催されている勉強会に参加してきました。image-02e1b.jpeg

(写真は参加者のfbからお借りしました)

毎月事前に出されていた質問に対し、参加者一人ひとりがそれぞれの課題と答えを自ら考えて答え、それに対し高橋塾長からアドバイスやツッコミを頂きながら、また他の参加者の課題と答えも参加者みんなで聞きながら学びを深めるグループコーチングという形の勉強会です。
今月の事前課題は、
以下コピペ
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■今月の課題:“絶対に勝つ”ために鍛錬します?
人生は勝ち負けでは有りません。しかし、負けられないこともあるのが現実であり、残念
ながら弱肉強食のこの世界では、絶対に勝たねばならぬものがある筈です。
勝たねばならぬもの、なんですか?その為にどんな鍛錬をしますか?
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コピペここまで
「負けられないこと、勝たねばならぬものは何か?どんな鍛錬をするか?」
今回も難しい課題でした。
難しい分よく考えた結果、今の自分の課題が見えてきました。
弱肉強食ではありますが、自分は自分、人は人。
できれば人と勝ち負けを競いたくはないので、勝たねばならぬものを「他者」ではなく「自分」にしました。
そう考えると、自分は思うようにギアが上がっていないことに改めて気づきました。
僕の発表は
「勝たねばならぬものは何ですか?
→今のペースでは人生が終わるとき後悔すると思う。自分の目標のために具体的に何をすべきかわかっていない。そして十分と思えるほど行動が出来ていない。そんな自分に勝たねばならない。
どんな鍛錬をしますか?
→スティーブジョブズのように毎日を人生最期の日と仮定して心残りがないか自問する」
と答えました。
それに対して塾長から
「自分で考えることよりも、読書などで情報を取り入れましょう」とアドバイスを頂きました。
具体的に言うと、このブログのテーマでもある「愛を軸に生きる」ことが今の目標なのですが、それに対して本腰が入っていません。
これが出来るかどうかが人生を大きく左右すると思っています。
もっと情報を取り入れようと思います。誰かお勧めの本でもあれば教えてください。(恋愛系ではないです、念のため)
因みに「アミ小さな宇宙人」という小説を最近読みましたが、すべてのモチベーションの根本は愛だとわかった良書でした。
メインテーマについて事前の告知の一部
以下コピペ
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■今月のメインテーマ:『糸』を『綱』に、『綱』を『網』に、
私達がマーケティングで目指すもの。それは未来です。
その為に、今持っている経営資産を最大限に生かし、“今”を土台にして“未来”を作り上げていく。
そして、我々が持つ経営資産の最たるものは売上げ、利益を生む出す『顧客』です。
ドラッカー博士はかつて言いました、「事業の目的は顧客の創造である。」
職人起業塾的に分かりやすく言い直すと、「事業の目的は生涯顧客の創造だ。」となります。
もう少し具体的にすると、「今有る顧客との細い糸を紡ぎ合わせ、切れない綱に。その綱を
張り巡らせて、複合的且つ有機的な顧客のコミュニティーを作り上げることこそ事業の目的。
○顧客との繋がりを切れない様にするには?
○顧客のネットワークを作るには?
○いつ、何を、どのように、しますか?
について皆さんと共に考えたいと思います。
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コピペここまで
繋がりが切れないような関係とは、家族や友人のような関係だと思います。
顧客のネットワークを作るには、仲良くなる、より親密になる、しかないように思いました。
その為にいつ何をどのようにする?
→家族、友人のように顧客と付き合う。
と答えました。
他の参加者の意見の中で、
「大雨が降ればお客さんに電話する」
「お客さんとボーリング大会をする」など、まるで家族や友人のように接している具体例が聞けました。
そういうことが顧客との繋がりを強くするだろうなあと思います。
この具体例だけを見るとある意味テクニックですが、その根本には家族や友人のように接するという考え方があるだろうし、家族や友人のように接する根本には愛がある、というか必要だと思います。
愛も無く、家族や友人のように接しようとしても虚しいだけだし。
今月は愛についての知識を深めるという具体例な目標が出来ました。ありがとうございました。まずは本を探していきます。
以上今月も有意義だった職人起業塾の振り返りでした。

宮大工さんの応援に行ってきました

今から7〜8年前に一週間ほど一緒に仕事させて頂いたのをキッカケに仕事以外でもちょこちょこ声を掛けて下さっていた木匠 和水建築の広島さんの仕事場に応援で2週間ほど行ってきました。
仕事内容は、神社敷地内に納骨する為の新築の建物で、僕は刻みの最終と建前の途中までを手伝わせて頂きました。
僕自身、宮大工の仕事は初体験で、部材の名前や納まり、仕事の進め方までわからないことだらけで、見習いの頃の未熟な気分に戻っての仕事になりました。
前半の1週間は広島さんの倉庫で材木の刻みや加工、仮組みの手伝いでした。
仮組みの目的は、梅雨時期というのもあり木材が反るため、倉庫で歪みを確認して調整しておくことで少しでも現場でスムーズに進めることが出来ればという意図です。

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実際仮組みで調整したにも関わらず現場ではまた歪んでいました。
それを納めていく広島さんはさすがでした。
住宅のように柱や梁の大きさが規格化されている場合は十分乾燥した材木が流通していますが、社寺のような特殊な寸法の無垢材ばかりが必要な新築の場合、新築が決まってから材木を発注して乾燥も兼ねて1年ほど寝かせる余裕があればいいのですが、保管場所の確保の問題や完成までの期間の問題で、発注後即加工になることも多いようです。
僕がさせて頂いたの仕事は、たぶん宮大工の世界では見習いのがするような内容ではないかと思います。板を削ったり、型板に合わせて板を切ったり、それでも結構なミスもしました。汗
機械工具で育ったせいか、手仕事でしか出来ない部分はまだまだ未熟だということを痛感しました。
久しぶりに鉋もよく使いました。お陰で反った板でも小鉋で削る方法を教えて頂き貴重な収穫です。
ちなみに最近鉋を整理しようと並べた時の写真。
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自分で買ったものから、親方などから
のお下がりでこんなにあります。近々板削り用に小さめの鉋の台を更に小さくしようと思います。
いよいよ建前。
現場では毎朝仕事始めの前に階段を登って神社の本殿にお参りに行きました。
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社寺の建前も初めてです。
部材の納まりも仕事の流れもわからないので、自発的に作業というよりは見習いの頃のようにひとつひとつ伺いながらの作業でした。
プレカットの住宅の建前しか経験のない僕からすると、なかなか前に進まないことに最初は少し歯がゆかったですが、段々慣れて、コツコツ丁寧に納めていくことが仕上がりを左右することが後で目に見えてわかりました。
木は痩せてくるのでちょうどの寸法の板だと後々隙間が出来てくるので、溝の幅より分厚い板や部材をひたすら木殺し(金づちで叩いて一時的に圧縮させる)してから差し込むの繰り返しでした。
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ほとんどの部材がそのまま仕上げ材として目に触れるので手を抜けない、また誇らしい仕事です。
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木が収縮して梁が下がってくるので今は隙間を開けているそうです。
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海老高梁(えびこうりょう)
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彫刻も広島さん作
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シャチ栓
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作業場でも現場でも出るゴミといえば桧の木くずがほとんどで、あとは仕上げた材木を保護するラップのナイロンだけ。(分別します)
とてもエコな仕事です。
・社寺の仕事を一部経験できたことと、
・昔ながらの無垢材の手仕事を経験できたこと、
・見習いの気分を再び味わえたことなど、
僕にとっては濃い2週間でした。

誕生日で感じたこと

昨日39歳の誕生日を迎えました。
母親から祝いの言葉を貰いましたがメールで貰ったのは始めて。「元気で誕生日を迎えることができて良かったね」と。
そういえば、約2年前の肝臓に転移が見つかってからの数ヶ月、ゲルソン療法に出会うまでは、39歳の誕生日を元気で迎えることができるかどうかもわからなかった訳で、そんなことを思い出したと同時に、1人で生きているのではないんだということを当たり前ですが感じました。
仕事から帰宅すると、嫁がゲルソン仕様のケーキを作ってくれていて、子ども達がそれを食べるのを楽しみにしてたようで、さっそく誕生日会をしてくれました。
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ケーキの甘みはバナナとサツマイモだけですが十分で、ライ麦粉やオートミールを上手に使ってしっとりさっくりとできていました。
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家族に囲まれ幸せ者です。
今日も残しておいてもらったケーキを先ほど食べましたがやはり美味しかったです。
ゲルソン療法という食材を厳しく制限されたなかで(食材を制限されても実際にはとても美味しく安心な料理ばかりです)、工夫して更に美味しく料理してくれる嫁に感謝です。
のろけ話みたいですみません。
家族を感じた幸せな誕生日でした。