現調

本日は朝から現調(工事前に現場の下見)。妻は「ひょうご木づかい王国」に出勤なので、子供を実家に預け、台風の影響で降りしきる雨の中 小一時間ほど出かけて来ました。現調から帰って来てから、昼過ぎまでその見積もり作業になりました。

日曜日は私にとって過去一週間の予定の振り返りと次の一週間の予定の確認をし、普段の業務以外の大切だと思う取り組みに時間をかける貴重な調整日でもあります。

平日はみっちり仕事が入っていて、19時以降でなければ現調に行けず、今週は仕事が終わってからの時間に毎日予定が入っています。現調や見積もり作業も立派な業務ですので、平日昼間にすれば良いのですが、いつ抜けられるか予定が立てられなかったこともあり、確実で直近の日曜日に現調となりました。

現調に行っている間に長男は熱が出だして、その後家で寝かせながら、こまめに体温を測ったり、食事や洗濯など家事をしながら過ごしました。

今日は(緊急でなく重要な)第二領域の取り組みへ、もひとつ時間をかけることができずモヤモヤしています。

日頃の業務(大工仕事)を依頼されるまま惰性で続けるだけではなく、もう少しこの第二領域に近づけていくことを意識して、働く目的と働く内容とを近づけていきたいと思いますが、具体的なイメージとビジネスプランを立てることで、形にしていきたいと思います。

ここ最近早寝早起きの習慣がなくなってしまったので、それを取り戻してまずは状態管理から。

今日の振り返りは「第二領域の時間をいかに増やすか」です。

このブログも普段の業務には関係ない第二領域ですが、今日は大したブログ内容の構想もなく書き始めましたが、それなりに振り返り出来ました。大切な第二領域の時間です。

仕事環境

昨日今日と、マンションモデルルーム木工事の応援に行ってきました。

相変わらず、自分の1日の作業量の読みが甘く、後半他の大工さんに手伝ってもらって何とか終了時間間際にノルマを達成出来ました。

自分の想像する進み具合と、実際の進み具合とに差があり過ぎて情けなくなります。

自分のした作業を、一般のお客さんから「大工さんて何でも出来るんですね」と評価される場合と、同業者から出来て当たり前の環境の中で評価される場合とでは、評価基準が全く違い、後者の厳しい評価基準の中で鍛えられながらも、好きな仕事が毎日出来ることは、本来とても有難いことであると、仕事帰りにふと思いました。

というのも、来週に控えた職人起業塾の設問の1つ「自分にどの様な実績があるのか?」を考える中で、特に目立つような実績はなく、当たり前のことしか出来ていないと感じながらも、素人から見れば、何でも出来るレベルにまで達しており、毎日好きな仕事をし、同業プロからの厳しい目で見られながらスキルを上げている事も、(この設問の答えにはなってないですが)自分にとっては大きな実績であると、自己満足ではありますが気付くことが出来ました。

職種によっては、いくら好きでもそれ単体では飯が食えない職業があったり、そもそもその仕事にありつくことすら出来なかったりする人もいます。

昔と比べて単価が安いだの、保障がないだの、愚痴を言ったり聞こえたりもしますが、自分の好きでやってるんだから自分の好きにしたらいい話で、仕事を始めて20年弱恵まれた環境に居れたことに感謝したいと思います。

曽根の反り布団屋根にアレンジしたらしく、雰囲気出てます。彼も好きなことに夢中です。

今日の振り返りは「今の幸せも自分には立派な実績」です。

哲学(共感してもらいたい想い)

本日は、前々回のアグリテインメント塾のミッションの最後の1つが残っていますので、片付けたいと思います。

哲学シリーズの5つ目で、「共感してもらいたい想いはなんですか?」という設問を振り返りながら考えます。

アグリ塾では、「余命宣告された経験から、誰しも残りの人生が何十年もあるとは思わず、いつでも死ねる覚悟をもっと持って生きたほうが良い」といった内容のことを発表しました。

そんなことを言っておきながら、自分自身は、毎日覚悟を決めて生きることが出来ているわけではありません。

ただ今日は、余命宣告された時の感覚を出来るだけ伝えて、共感してもらえることを目指してみようと思います。

まず、今まで何度も書きましたが、私は35歳で大腸ガンが見つかり、手術で取ったものの、37歳で肝臓に転移しました。それも運良く手術で取り切ることが出来ました。しかし、内科の主治医から伝えられたことは、余命宣告とも言えるほど厳しい内容の五年生存率でした。

私の病歴の場合の統計では、5年で12%しか生存できない、100人中2年半後に50人が亡くなる、ステージⅣ、というものでした。当時はガンに対して効果のある治療法や、何故ガンができるかが分からず、どうしようもなくこの宣告通り亡くなるのではないかと感じていました。

そうなると、物欲や金銭欲といった余分な欲望が削ぎ落とされ、本当に欲しいものは、命や、自分が亡くなったときの子供や家族の行く末が安泰だという確証のようなもの、になり、そんな心配せずに助け合える社会の必要性を感じました。

五体不満足だろうが、お金が無かろうが、どんな辛い人生になろうが、せめて命だけあれば家族を見守ることが出来る、命さえあればなんとかなる、なんとかする、見栄や恥を捨て何でも出来る、死ぬことに比べたらどうってことない、というような感覚に時折なっていたのではなかったかと思います。

命を繋ぎ止めることができた今、恥を捨てて何でも挑戦しているかと言えばNoですが、この強烈な体験は「人生を精一杯生きよう」という原動力になっています。

40歳からはガン検診があるように、誰しも、いつガンが見つかるか分かりませんし、乳がんでは若い女性の方もたくさんおられます。

50歳で死ぬならあと10年、60歳で死ぬなら、あと20年あるわけですが、死ぬまでの猶予がまだまだあると思っていると、あっという間に時間は過ぎ去っていくように思います。

あと10年、20年、本当にあるかわからず、多少びびりながらぐらいの方が毎日を大切に精一杯生きることが出来るのではないかと思っています。

こんな文でうまく伝わったでしょうか?これが「共感してもらいたい想い」になります。

何故共感して欲しいかと言いますと、一度きりの人生、終わってしまえばどうってことないことなのかもしれませんが、死に際になって私のように、もがくような思いをするくらいなら、命のある普段から、自分にとって大切なものを守る生き方であったり、挑戦する生き方であったり、精一杯な生き方を(私も含め)された方が良いのではないか思うからです。

これは私なりに余命宣告という特別な体験ができたという思いがあり、人に共感してもらうに値する貴重な体験であったと捉えているので、こうして書いてみたした。

 

今日の振り返りは「正直何が正解かはわかりませんが、貴重な体験をしたことだけは確かです」

稚拙な文章かもしれませんが、何か感じ取って頂ければ幸いです。

 

屋台模型で遊ぶ

祭りが終わり、冬が近づいていると感じる季節ですが、我が家では息子がサンテレビの祭りの放送の録画を繰り返し見ながら、祭りが続いています。

夏にファブラボ高砂で開催したワークショップの見本の屋台模型を息子にあげました。

早速、綱と高欄掛けを紙を使って自分で作り、よく見ると屋根のてっぺんに擬宝珠(ぎぼし)も飾り付けしていました。

小さい子が遊ぶ分にはこれで十分だと言うことが分かります。模型ワークショップの準備の進み具合としては、今現在、屋根の野地板のデータ調整をしている段階で半分止まっている状態で、出来るだけ細かい隙間や切り目が目立たないように試行錯誤してる(ような、してないような)ところですが、

そもそも事の発端は、ファブラボ高砂の工事をさせて頂く中で、レーザーカッターや3Dプリンターを間近に見て、それらが使えるようになれば子供たちでも手軽に屋台模型を手にすることが出来るのではないかと思ったからで、それほど品質をこだわる必要はなく、まずリリースして少しでも先に形にして、機会があれば修正する感じの方が、多くの方の目に触れ、手にとって頂けるのではないかと、この息子の飾り付けを見て気づかされました。

よいやーせっ!よいやーさっ!あーよっそいっ!と言って遊んでおります。

こんな感じで多くの子たちに手軽に遊んでもらえる状態にまで出来ればと思います。

とりあえず長いこと放置していたワークショップの続きの日程を来月辺りに決めて、野地板と屋根てっぺんの露盤台のデータを完成させて、前回のワークショップ参加者様分の材料を用意しようと思います。

今日は県立がんセンターにて3ヶ月に一度の血液検査でした。全く問題なく正常でした。今日も多くの患者さんが来られていました。皆さん不安を抱えられながら来られているのだと思います。時々、ガンが発覚して入院前に色々説明を受けているであろう患者さんがおられます。診察を待っていると、手術や検査前に色々説明を受ける部屋から、見た感じ30代のご夫婦が不安そうな面持ちで出てこられました。

私たち夫婦も今から5年以上前に同じことを経験していますので、気持ちがわかります。今となっては、意味のある治療・意味のない治療、何をすべきで何をすべきでないかわかっている(つもりです)ので、以前から何度かこのブログでも書きましたが、私なりにガンに関する知識をアウトプットしたいと思っています。

今日は待ち時間の合間に、来週に控えた職人起業塾(マーケティング勉強会)の事前に送られた質問についてじっくり考えました。しなければならない課題がたくさん浮き彫りになりました。

考えてばかりではいつまで経っても何も変わりませんので、

「構えて、狙いを定めて、撃つ」

ではなく、

「構えて、撃って、狙いを定める」

を忘れず、まずやる。

血液検査待ち中に妻から送られてきた写真で、今朝保育園に行く前に息子が、娘のシルバニアファミリーの家をやっさ蔵に見立てて、蔵に入れているそうです。

今日の振り返りは「構えて、撃って、狙いを定める」です。

荷台内張り

本日は、私が一人親方として独立する前からお世話になっている元請けさんの仕事でした。

今までお付き合いさせて頂いている何社かある元請けさんのうちで、今まで9割以上こちらで仕事を頂いている、言わばメインの元請けさんですが、今年は珍しくまだ数えるほど、数日しか仕事を頂いておりません。よって今年はそれ以外の工務店さんを転々と綱渡りしております。

本日はトラック荷台保護のための内張りをさせて頂きました。

既存の内張りが腐食して使い勝手も見た目も悪くなって、新しく交換になりました。

床をめくると泥やゴミが溜まっておりました。荷台の溝にへばり付いた泥を取るのはなかなかの手間でしたが、

最後に水洗いしてスッキリ。

新たな材料を切って取り付け、

完成。

こちらのお客様は、農業資材を扱われている会社さんの営業所で、パッと見た感じ20名ほどの従業員の方がおられました。

現調(事前の現場調査)でお邪魔した時も、作業させて頂いた本日も、こちらの所長さんはとても物腰が柔らかく対応してくださりました。

営業のプロですから当然かも知れませんが、初対面でもすぐに打ち解けるような気さくな話し方は職人にはない雰囲気でして、上手く説明し難いですが、何にしても私を立ててくれるというか、私の都合の良い日に作業させて頂き、内張りが新しくなることを有り難そうに言われたり、新しくなった内張りを喜んで頂き、床材にフローリング材を使用した為に釘が表面に見えないことに非常に喜ばれ、しかも社員さんを呼んでそれを「最新式の床」と説明されたり、と少しオーバーにも思えるくらいに私を持ち上げて頂いたのですが、全く嫌味がなく、営業所の所長ともなると、リーダーとして人との関わり方に長けてると感じました。

私も少しは見習いたいと思います。

作業が終わり、片付け間際に別の社員さんが来られ、話しをしていると、後部アオリの面が一番傷みやすくなる材料の載せ方をするとのことで、そこに余ったフローリング材を上貼りさせて頂きました。

当然所長さんにはくどいくらいに有り難がって頂きました。

今日の振り返りは、「少しでも相手が気持ちよくなるような声掛け、愛想を心掛け、少しでも気持ち良い一日を過ごしてもらう。」

自分の小さな「箱」から脱出する方法

(長文です)

先月の職人起業塾で「自己欺瞞」について学び、そしてそれを深掘りした本書を紹介されました。以前にも同じようなテーマであった回で同じく本書を紹介された折に一度読んでいましたが、情けない話ですが読みっぱなしのままで知恵として我が身に付いておりませんでしたので、改めて、今月のミッションとして読み直し感想を書くことにしました。

このブログを読んで下さる方に1からわかりやすく説明することを目的にしている訳ではなく、自分が折に触れて読み返したときに深く理解したいためにまとめますので、理解しづらい表現もあると思いますがご了承下さい。

 

まず、対人関係の場面で相手と接するときの自分の状態を、「箱の中にいるか」「箱の外にいるか」という表現で説明されています。

箱の中にいる状態とは、相手を操りたいとき、すなわち物として見ているときのことで、箱の外にいる状態とは、相手に抵抗せず、人として見ているときのことを言っています。(上から接するか、下から接するかと解釈出来そうにも思います。)

そして、箱の中にいることによる弊害や、如何にして箱の外に出るか、如何にして外にいる状態を維持することが重要か、説かれています。

箱に入りお互いを責め合うまでの流れを以下に残しておきます。本書にはエピソードにてひとつひとつ具体的に説明されているので詳しく実感をもって理解されたい方は、本書のエピソードを読まれて下さい。

【自分への裏切り】

1 自分が他の人のためにすべきだと感じたことに背く行動を、自分への裏切りと呼ぶ。

2 一旦自分の感情にそむくと、周りの世界を、自分への裏切りを正当化する視点から見るようになる。

3 周りの世界を自分を正当化する視点から見るようになると、現実を見る目が歪められる。

4 したがって、人は自分の感情に背いた時に、箱に入る。

5 時が経つにつれ、いくつかの箱を自分の性格とみなすようになり、それを持ち歩くようになる。

6 自分が箱の中にいることによって、他の人たちをも箱の中に入れてしまう。

7 箱の中にいると、互いに相手をひどく扱い、互いに自分を正当化する。共謀して、互いに箱の中にいる口実を与え合う。

 

また自分にとって重要だと感じた他の内容を、上記と多少重複があるとは思いますが、以下に記しておきます。(これも本書のエピソードが理解しやすく、是非購入などされて読んで頂きたいと思います。)

 

◆自分が相手に関心を持っていることをわからせようとしているとき、相手に関心があるのではなく、相手の目に自分がどのように映っているかに関心がある。
(相手に関心を持っているようで自分に意識が向いているという、このあたりの意識の注意が難しく、大切だと思いました。)

◆一見正しいことをしたとして、たとえそれが正しいことでも、箱の中にいて行った場合には、非生産的な反応を引き起こすことになり、箱の外にいる時とは全く違う結果を招く。というのも、人はまず、相手の行動にではなく、相手のありよう、つまり相手が自分に対して箱の中にいるか外にいるかに対して反応する。
例えば、相手に何かをさせるとき(又はやめさせるとき)、自分が箱に入った状態で相手に接しても相手にそれをさせることはできるが、相手の熱意や創造性をかき立てることは出来ず、やる気を阻害させてしまうという新たな問題を引き起こしてしまう。

◆相手に対する行動がハードであるかソフトであるかは問題ではない。人はいつもソフトな物言いばかりを必要としているのではなく、時には少しばかり厳しい励ましが必要になることもある。相手にハードな内容を伝える場合にも箱の外に出たままでいられることが重要で、それは相手を物として見るのではなく人間として見ている状態が必要がある。
(私は当たり障りのないことばかり話しがちですが、ときには思い切って当たり障りのありそうなことでも、箱の外を意識しながら話していければ、表面的でない関係が築けるのではと思いました。)

◆いったん自分の感情に背くと、すべての思考や感情が、何をしようと自分が正しい、と主張しはじめる。(自分を騙すために、自分を正当化する必要ができてしまう。)

◆自分の感情に背くまで、相手の欠点は自分が手を貸さない理由になっていなかった。自分の感情に背いた時にはじめて、手を貸さない理由になる。
また仮に相手に欠点があるとして、その欠点がより強く感じられるのは、自分の感情に背いた後であるから、実は自分への裏切りのせいで、相手を実際以上にひどい人間に仕立てている。(自分を裏切ることで、裏切った自分を正当化する必要がうまれ、相手に問題があるという歪んだ解釈しはじめる。)

◆ 自己正当化のイメージのいくつかが自分の性格になってしまう。そしていくつかのイメージが箱となって、自分はその箱をいろいろな場所や状況の中に持ち込むようになる。
(自分の裏切りを繰り返すことで、自分を正当化する考えを常に持つようになり、それが性格になっていく。文字にしてみると恐ろしいですが、それが往々にして起こっているということが想像できました。)

◆自分は他の人のことを思いやれる人間だと思っているとき、実際には自分のことを考えている。
自分は他の人を思いやれる人間だ、という自己正当化イメージを持っている。
そういうイメージを持っている自分は、自分のことしか見ていないということになる。
(相手のことを想っているようで、実は自分のことを考えているという怖い話。自分を立派だと解釈した時点で謙虚さが失われるということでしょうか。)

自分は頭が切れて知識が豊富だという自己正当化イメージを持っているとする。相手から自分の知らないことを持ち出されたら、腹を立てたり相手のことを言っていることのアラを探そうとする。すると相手は、次に新しいことを思いついても自分のところには来なくなる。となると、自分は相手から新しいことを学べなくなる。
自分は何でも知っているという自己正当化イメージを持っていると、色々なことを知りたいという想いよりも、自分がどう見えるかが最大の関心事になる。自己正当化イメージとはそういうもの。
(頭が切れて知識が豊富だという認識または自己正当化イメージがあるかないかが問題ではなく、相手のどんな意見にも耳を傾ける謙虚さがあるかないかではないかと思います。自己正当化イメージは、箱の外にいる場合には害にならないと思いました。)

 

◆自分のことを「怒られて当然の人間で誰かに怒られたい」などと普段から思っている人間はまずいない。「自分は完璧とは言えないが人並みにやっている」といった自己正当化イメージを持ち歩いていて、攻撃されたらすぐさま自己正当化イメージを守ろうと、はじめから防御の構えに入っている。すなわち、責められればすぐに箱の中に入る。
したがって、自分が箱の中に入り相手を責めると、相手は不当に責められたと感じて箱の中に入り責め返してくるが、自分は箱の中に入っているもんだから、自分が相手を責めるのは当然で相手が自分を責めるのはお門違いだとさらに責める。
要するに、自分が箱の中にいることで、相手を箱に入るように仕向けることになる。
(先ほど、自己正当化イメージ自体に問題はないと私は解釈しましたが、こちらの文章から、自己正当化イメージを持っていると攻撃されたときに箱の中に入りやすいことがわかりました。箱の中にいる相手から、自分の自己正当化イメージを否定されても、箱の外に居続ける謙虚さというのは、相当なものだと思います。そもそも箱の中にいる相手の意見は歪んでいると解釈していますので、相手の歪んだ意見に謙虚に耳を傾けるというのは達人の域かと思えますが、箱に入ってしまう相手の弱さを理解し許せる余裕が必要かと思います。それにしても、お互いが相手を責めるメカニズムが解明された本書は素晴らしい。「メカニズムをよく理解し、相手を許す余裕」が外に居続けるポイントかと思いました。)

◆箱の外にいると、自分がひどい目にあってもまるで得にならない。ところが箱の中にいると、相手が間違っている、責めて当然という証拠が必要になり、自分が本当に求めているものが見えなくなり、相手に対して一番に望んでいると考えているものではなく、相手は責めるに足る人間であるという自己正当化の材料を手に入れようとしてしまう。
(自分が今、箱の中にいるか外にいるかを常に意識する習慣を持ちたいです。)

◆箱の中にいると、「仕事の成果」に集中しようとしても、自分が優秀だという評判を得たり、その評判を維持したいといった「自分に目を向けること」に手一杯になってしまい、結果に気持ちを集中させられなくなる。
箱の中にいると、他人の成果を自分の成果に比べて軽く扱う。箱の中に入っている人は相手を箱の中に入れようとする。自分自身が欠点を直し損なっているという事実を正当化するために、自分の外側のものを責める。
(他人の成果を自分の成果に比べて軽く扱うことは常々やっているような気がしますので、常態的に箱の中にいる可能性があります。箱の中と外の境界線付近だとは思いますが。)

◆箱の中にいると、箱の外にいる時よりはるかにしなければならないことが多く、負担が大きく感じる。自分は思慮深い人間だとか、価値ある人間だとか、高貴な人間だとか、始終自分の徳を見せつけていなくてはならない。
箱の外にいれば相手のためにいろいろなことをしたとしても箱の中にいる時よりはるかにくつろげる。
(箱の外に居たいと思っていても、様々な判断に迫られる度に、箱の中と外を行ったり来たりしているように思います。日頃からの心掛けで、箱の中に入らないクセを少しずつ身につけながら継続していく意識が必要です。)

 

【箱の中にいる時に、しても無駄なこと】

1 相手を変えようとすること

2 相手と全力で張り合うこと

3 その状況から離れること

4 コミニケーションを取ろうとすること

5 新しいテクニックを使おうとすること

6 自分の行動を変えようとすること

 

【知っておくべきこと】

◇自分への裏切りは、自己欺瞞へ、さらには箱へとつながっていく。

◇箱の中にいると、業績向上に気持ちを集中することができなくなる。

◇自分が人にどのように影響を及ぼすか、成功できるかどうかは、すべて箱の外に出ているか否かにかかっている。

◇他の人々に抵抗するのをやめたときに、箱の外に出ることができる。

 

【知ったことに即して生きること】

◇完璧であろうと思うな。より良くなろうと思え。

◇既にそのことを知っている人以外には、箱などの言葉を使うな。自分自身の生活に、この原則を活かせ。

◇他の人々の箱を見つけようとするのではなく、自分の箱を探せ。

◇箱の中に入っているといって他人を責めるな。自分自身が箱の外に留まるようにしろ。

◇自分が箱の中にいることがわかっても、あきらめるな。努力を続けろ。

◇自分が箱の中にいた場合、箱の中にいたということを否定するな。謝った上で、さらに前に進め。これから先、もっと他の人の役に立つよう努力をしろ。

◇他の人が間違ったことをしているという点に注目するのではなく、どのような正しいことをすればその人に手を貸せるかを、よく考えろ。

◇他の人々が手を貸してくれるかどうかを気に病むのはやめろ。自分が他の人に力を貸せているかどうかに気を付けろ。

 

最後に

箱の外にいることができる人間が多い会社を作る方法を見つけ出すことが成功の秘密である、とありました。
そんな仕組みづくりが出来れば間違いなく良い会社ですし、良い人生になると思います。
本書を読んで、箱の外に居続ける仕組みづくりの重要性を得心できましたので、
常日頃から「箱」を意識しながら、少しでも外にいるクセを強めていき、折に触れてこのまとめを読み返しながら、箱の外に居続ける仕組みづくりという行動に移していきたいと思います。

 

今日は読書します

今日は短めにします。

すっかり秋の夜長になっていますが、全く読書を堪能できていません。ブログをしていて睡魔に負けてしまいます。

湯船に浸かりながら読書しててもウトウト。

そんなわけで今日は振り返りをせず、睡魔に襲われる前に読書をしたいと思います。秋の夜長らしく。

段取り8割

昨日は東加古川の水まわりリフォーム最終日。夕方前に余裕で終わると思っていましたが、3時休憩なしでガッツリ6時前までかかってしまいました(ちきしょー)。

原因はというと、そもそもそんな早く終わる仕事量ではなかったことですが、前もって残りの作業内容を正確に把握しておくべきでした。

直前に部材を追加することになり、一度にまとめて出来なくなったり、間に合わせでバラ釘を買ってきてもらったお陰で釘打ち機ではなく手打ちで釘を打ったり、室内の材料が揃わず作業が後回しになったりと、自分が事前に元請けさんと作業内容を打ち合わせしておけば防げたことがあったように思います。

いつもその日の作業を一杯一杯やっているので、少し余裕を持って先の作業内容を正確に把握する時間を持ちたいものです。

日は変わって本日は隣町のアパートの修繕。昔同じ工務店で仕事していた気心知れた請負師の仕事。

解体した廃材を車に積んでいると少し離れた向かいにステキな家発見。

写真を撮っておきました。

こんな仕事していきたいです。

解体後は材料の買い出しに。めくってみないと分からない状態でしたので、事前に材料を用意しておくわけにはいかず、お付き合いしている材木屋さんはあまり在庫を持っておられず、事前に注文しておかなければならないので、今回は大型ホームセンターへ。現場からは姫路のホームセンタームサシが近いようにも思いますがグーグルマップでは東加古川にあるプロ向けの建デポの方が早く着くので、そちらへ。今思えば姫路駅にコーナンプロがありました。

在庫のある近場の材木屋や金物屋、建材屋を回っても良いですが、商品の種類が豊富で一箇所で事が済む大型ホームセンターの方が選択肢が広がりますし一度で済むので少し距離はあるもののそちらを選びました。

今は閑古鳥が鳴いている地元の曽根総合市場も昔は駐輪所に自転車を停めるところを探すのも中々な時もあるぐらい大盛況でしたが、コープこうべが来てから少しずつ客足が遠のいて行きました。父親が言うには、曽根の市場だけでは揃わない食材などがあったことが、コープに客が奪われた理由だそうです。

今ではそのコープも客足が寂しい感じですが。

最近は金物類は宅配で注文することが多くなりました。現場着で注文も出来ますし。

ですから作業時間を材料の買い出しに充てるのは、時間が勿体無いように思いますが、今回はこうなる事が事前に分かっておりその時間枠を設けていたので、なんの問題もありませんが、もっとええ方法無かったかなぁと若干ソワソワしてしまいます。たぶんイラチです。強いて言えば、現調の時に解体部分を思い切ってめくってしまえば、作業時間は多少必要ですが、事前に必要な作業と材料が把握できたと思います。

 

最近、祭りの疲れの影響かぐっすりと睡眠時間を取っています。その分思うようにタスクが進んでいないのでぼちぼち睡眠時間を減らして行きたいと思います。

 

打ち合わせ

昨日は年末にリフォームをご検討中のお客様との打ち合わせでした。

妻と一緒に工事の詳細を説明する中で、私は技術的・強度的なこと、妻は建材・商品の知識や仕上がりの雰囲気など、それぞれ守備範囲の違いがあり、どちらが欠けても成り立たないニコイチの関係です。

一般的には(他の工務店さんや建築会社さんでは)それを一人で説明できる、又はされていると思います。

私は住宅設備(例えばキッチン、ユニットバス、便器、アルミサッシなど)の商品知識に乏しく、また興味もありません。そこは妻の好きな分野なのでお任せできています。

内装材の選定も木材以外は妻のセンスに任せています。

問題は雑談です。この時ばかりは妻との違いを痛感します。私ももちろん雑談には参加しますが、今思うと私は話の守備範囲が狭いように思います。妻は主婦もしていますので当然奥さんとも話が合いますし、植栽も好きで御主人とも話が合います。私も話を聞きますが、「そーなんや」止まりで先が続かない感じかと思います。

職業上の立場からして、雑談しても仕事は進まないので、普段は雑談をする機会をさほど大切にしていません(でした)。しかし雑談くらいは気持ち良くできないと味気ない打ち合わせになってしまいそうです。

こればっかりは妻に任せっきりではなく、自分の弱みとして改善したほうが良いと思います。

興味のない商品知識は無理して覚えなくて良いですが、雑談は大切なコミュニケーションでありますので、何を今更という感じですが、仕事の作業効率ばかり優先してきた負債として認識できたことはこれでも私なりの進歩です。

たった2時間の打ち合わせで疲れてしまいましたが、以前はそんなことなかったことを思うと、自分の至らなさに気づきながら上手くできない歯がゆさを感じながらの打ち合わせだったからではないかと思います。40にもなって情けない話ですが、今まで目をつぶってこれたことを思うと、自己欺瞞というものは意識しなければいくらでも自分に蝕んだままでいることができ信頼を失う危険要素だと感じました。

洗面残り

今週の天気予報では雨降りが続く模様で、現場仕事の私にとっては少々鬱陶しい天気です。室内作業が救いですが、明後日は少し外部の仕事や車への道具の積み込みなどもあり天気に左右されそうです。

本日は、私が祭りで休みを頂いている間に据えられたユニットバスと隣接する洗面所が天井と床上げの途中まで進められていた為、残りの仕舞いをしました。

祭り以外にも子供の運動会などでちょこちょこ抜けさせて頂いていますが、その間に解体屋さんが床上げ作業をして下さり有難いのですが、せっかくして頂いた床のレベル(水平)が悪く、そのレベルの悪い床と同じように洗面所の床を(多分元請けさんが)合わせたらしく、その悪い床に残りの床を私が合わせなければならず、これまた引き戸が通る部分なので真っ直ぐレベルが出ていないといけませんが、「直しましょか?」と元請けさんに尋ねたところ、「隣の(解体屋さんがされた)床も悪かったから直せない」と言われ、直せないことないですが、どちみちコケた(傾いた)柱に建具を削り合わせてもらわなければならず、似たようなもんかと、直さなくていい理由が出てきたりと負の連鎖。

言われた通りにしましたが、もひとつしっくりしません。あとで問題無ければいいですが。

それと祭り前日の夕方、風呂とキッチンの新設のアルミサッシの窓ガラスが以前のものよりスリガラスが透けやすそうで困ると家の方が言われ、確かに風呂場の窓は少し位置も低いのでシルエットはわかるかも知れないと思いましたが、元請けさんにそのことを電話で伝えておきました。

その後の進展を今日聞いたところ、家の方にこれ以上ボヤける窓ガラスはないと説明されて、実際に外から見てもらって大丈夫だと納得頂いたそうです。

ちょっとしたことかも知れませんが、説明の仕方や対応の仕方によって家の方に大きな不満が残る可能性もある場面だったのではないかと思います。私がその立場なら同じ対応ができたかは疑問が残ります。

とまあ今日は特に面白くもない内容になったかもしれません。

振り返りはそんなところです。