Blog Workout Vol.3

先日、ブログワークアウトvol.3に参加してきました。
今回はブログをより快適に利用するためにどんな機能を利用すれば良いかという説明がメインでした。
セキュリティー、アクセス解析、デザインカスタマイズなど様々な便利な機能がありますが、私はその辺りのことに対して疎過ぎてちんぷんかんぷん。
問題意識が持てておらず、今後必要に応じて聞いていくことにします。

今回は、一年後にどんなブログになっていたいですか?という質問がありました。
私のブログの閲覧者数は毎日平均一桁台なので、あまり価値があるブログと感じてもらえていないので、改善策の1つとして自分が残念だと感じた他者の投稿を参考にそれを自分に当てはめ見直していくことで、1日平均十数人の閲覧者数を目指したい。と答えました。

先ほど自分の投稿を読みましたが、相変わらず読みにくい。( )や「 」が多く、改行も多い。それは読みにくさを感じさせないための工夫のつもりでしたが、それが返って読みにくくしていますし、自信のなさの表れだと思いました。
でもこうやって気づく機会があっただけでも参加した甲斐が十分あったと思います。

 

今日のまとめ

・投稿の内容よりも、読みにくさの改善を意識する。

ありがとうございました。

死ぬことの価値

前回書きそびれたことをもう少し。

「今の自分の命は、多く死(先祖、生き物、食べ物)の支えによって存在していること」を学んだと前回まとめましたが、他にも思い出したので忘れぬうちに。

「死」というのは残った人に大きな影響を与えるので、「死」は大きな価値があるということにもなります。
周りに大きな影響を与えることで、その「死」は活きてきます。無駄死にでは無くなります(そもそも無駄死になど無いという話ですが)。

その死から感じるものは人それぞれ違いますが、
「命の尊さ」や「人生の儚さ」を気づかせたり、「死んだ者の分も生きよう」と勇気付けたり、社会問題を投げかけたりと、
何かしら残った人間に強い影響を与えます。

幼少期に私を可愛がってくれた祖母の死、高校生まで飼っていた犬の死、それらの「死」によって命の尊さを教えてもらいました。

ひょっとすると、祖母が私を可愛がってくれたこと以上に、亡くなる数日前に祖母と握手したこと、祖母が亡くなったことの方が、今の私に大きな影響を与えているのかも知れません。

それくらい「死」が周りに与える影響(=価値)というのは、生きていた時に与える影響と同じくらい大きいことがわかりました。

より活きる死に方をしたいですし、より活きる捉え方をしたいです。

自分の死によってどんな影響・価値を与えたいか考えてみることも、どう生きるか考えることとさして変わらないと思います。

 

今日のまとめ

・「死」は周りに大きな価値を与えるもの。活きるもの。

人の役に立つための最後の大イベント。

いろんな死が尊重できます。

ありがとうございました。

「いきたひ」上映会で死生観がパラダイムシフト

昨日は夫婦でいつもお世話になっている職人起業塾 高橋塾長のご招待で自主映画上映会に行ってきました。

ご主人をガンで亡くされた奥様作られた映画で、御自宅でご主人を家族で看取られた当時の映像や、家族を看取った他の方々の話なども含めて、看取ることを通して経験されことや死生観を発信された映画でした。

死という人生の最後についての何か気づきを得たいと思い、見積もりなどが溜まった忙しい中ではありましたが、それ以上に大切な時間であると思い夫婦で参加してきました。

この映画から感じることは十人十色だと思いますが、私はこの映画よりもその後に続く「臨終ワーク」と監督のお話が非常に示唆に富んで良かったです。

この映画と監督のお話から感じたことは様々ありますが、話がブレるので一番肝になる「死生観」の部分について学んだことを書きます。

監督の話から、「生前49日」というものがあるらしく、事件や事故、急病などの突然死の方も含めて死の約1ヶ月半前から、それまでの本人の本望ではなかった生き方の部分を清算するような行動があるそうです。
家族との確執を無くすような出来事や、御本人が抑制されていた欲望を解放する言動がみられたり。
そういった経験が看取られたご家族にとって良い体験だったようで、看取るという経験を忌み嫌うものではないというものでした。

また不幸とされる様々な死に方がありますが、それはその「死に方」だけにフォーカスしているのであって、例えば監督のご主人は47歳という若さでガンで亡くなられましたが、そのお陰でこの映画ができ多くの方に示唆を与える機会が生まれたわけで、また家族たちに死に様を通して死ぬこと生きることを考える貴重な経験を与えた訳で、「死に方」に対する残された側の捉え方はどうにでもなり、マイナス面にばかりフォーカスして、まるで死者の人生自体をマイナスに引きずり下ろすのはどうか?という意見でした。
子供がイジメで川で溺れさせられて亡くなるといった事件も、その子は自分が死ぬことでイジメについて社会に問いかけるという役を買って出た天使であると、この映画を見にきた小さい子が発言したというエピソードもありました。その亡くなった子の悲しい部分を強調し、「可哀想な子」というイメージに引きずり下ろすのではなく、もっとキラキラしていた時のことに目を向けてあげたほうが良いのではないかという話でした。

この「いきたひ」の漢字は「生」と「死」を合わせた造語で、監督には「生」の部分が人が両手を挙げた形に見え、その下の大きな「死」がその人を支えているように見えると。

私たちは先祖たちの多くの死の上で今生きており、次の世代にバトンを渡す立場。食べ物の命、野菜であっても命があり、その命を頂き多くの死の下支えのもと今私たちは生きているのだ、ということで、
例えば「どうせ自分なんか」と諦めるような考え方は、自分を下支えしている多くの命に対しても失礼で喜ばれることではなく、その多くの命を尊重するなら、自分に素直に自分が喜ぶことをしている姿によって先祖も喜ぶのではないかという、非常に説得力を感じた話でした。

監督はこの映画上映会、お話会を全国でされていて、その参加者の方との話をいくつか紹介されましたが、家族が自死されたかたの話でも、それまでは肯定的に捉えることができなかったが、この映画上映会に参加した事で「看取り直し」ができるようで、自分の意思で死ぬ「自死」という家族の決断を尊重できるようになった、というエピソードもありました。

この映画上映会、お話会で学んだことは、我々は「死に方」に対して必要以上にマイナスに捉えすぎているのではないか?という事と、自分が素直に喜べることをする事で自分を下支えしている多くの命に感謝をあらわそう!ということの2つです。

今回はパラダイムシフトと言っていいくらいの学びがありました。次回は(機会があればですが)、この映画・お話会から感じた「死生観」以外の「医療・介護」のことをまとめたいと思います。

1つ書き忘れていましたが、映画上映後の監督のお話の前に「臨床ワーク」というものがあり、そこで私は自分に「ありがとう」と「御免なさい」という気持ちになり涙が出てしまいました。
監督の言われた「自分に素直に喜ぶことを」が出来ていなかったからだと思います。

 

今日のまとめ

・自分が素直に喜べることが出来なければ、自分を下支えしている多くの命に対して申し訳ない。

・「死に方」は人生の一部でしかなく、しかも捉え方次第で良くも悪くもなる。

ありがとうございました。

社会を生き抜く力を伸ばすには

先日受けたオンリーワン ファミリーセミナー。
そのロゴマークには「社会を生き抜く力を伸ばす」と書かれています。
私は月2回マーケティングの勉強会に参加していますが、上の文言と同じように、社会で生きる力を伸ばし良い人生にしたいと思って勉強しています。
勉強とはそういうものですし、今回まさにそんな授業でした。

5つの議題が用意され(毎回途中で時間オーバーになるそうですが)、まずはじめに政治ネタ。「働き方改革」と「憲法改正」で、そこから話が派生していきました。
なぜ日本人は政治に無関心なのか?
なぜ自分の意見を堂々と主張しないのか?
なぜ本質的な教育に変わらないのか?
子供(と親)がどんなことをこれまで以上に学ぶ必要があるのか?

といった(私が学生時代には無かった)自分の生活と直結した授業で、どんなことを学びどんな力を伸ばすべきかが明確になりました。

具体的に述べると、

・自分の意見を主張できる。

これは当たり前のことですが、日本人の苦手なところで、「阿吽の呼吸」だとか、主語を曖昧にしたりするところがあって(日本人は主語を曖昧にすることで責任逃れが上手いそうです)、それは「言葉」を軽んじている訳ですが、言葉や対話を大切にしないのは、今までの日本社会では通用していたかも知れませんが、自分の意見を持って主張することは世界では当たり前の基本的なことであって、コミュニケーションにおいても、議論が必要な場面においても、問題を明確にし解決策を探す場面でも、絶対に必要不可欠な能力です。
そのためには何をすべきかですが、自分の意見を主張できる(言い切れる)子を育てる必要があります。
「出る杭は打たれる」と言いますが、打たれても跳ね返せるくらい「出る杭」になるには、
【言語能力を鍛える】

【自分の価値観・哲学を持たせる】

ことの2点がわかりました。

 

そこで【垂直・水平思考】というものを教わりました。
まず、自分にとって・社会にとって重要だと思うことをできれば100個ぐらい挙げて、その中でより重要だと思う10個を明確にします(水平思考)。その①〜⑩を別々に深く掘り下げて考えます(垂直思考)。
例えば①分析力、②好奇心、・・・⑩テレビとか何でもいいんですが、それぞれについての自分の考えを少しずつ明確にしていくことで、①と③が掛け合ったり④と⑧が掛け合っていく中で自分の価値観や哲学が形成されていくという理屈をわかりやすく教えて頂きました。
これを日頃の子供との会話の中で問いかけていく意識を持ちたいと思います。

子供と対話する上で、親の意見がブレブレでは説得力が無くなり信用も失います。
意見が変わってもいいこととブレてはいけないことがあり、親も子供と一緒に学び成長する必要があると思いました。

この授業は親向けの内容で、子供はまた別の授業をします。まだ具体的にいつどこで受けるかは決まってませんが。
子供と一緒に成長しながら未来に希望を持って良い人生にしていきたいと思います。

 

今日のまとめ

・社会を生き抜く力を伸ばすには、
「哲学や価値観を持つ」
「言語能力を鍛える」
ことを親子で行う。

ありがとうございました。

オンリーワン スクール

先日「オンリーワン・ファミリーセミナー」という勉強会に夫婦で体験参加してきました。
簡単に言えば、既存の偏差値教育ではなく、社会でもっと役立つ力を身につける勉強をするもので、子供にそれを一方的にさせるのではなく、日頃子供と接する機会の多い親も一緒に身につけるという考えのものです。

 

私が学生時代に受けてきた学校教育(偏差値教育)は、採点ありきの答えがひとつの問題を解いたり、実践的でない英語であったり、
どれだけ暗記できるかが評価になったり、社会で役に立つのかわからない授業がたくさんあり、「いい学校・いい会社に入ること」が良しとする社会の中で違和感を感じながらも「貴重な時間」をそれらに費やしてきました。

既存の教育を全てを否定する気はありませんし、ひとつの評価方法ではあると思います。
面白くないなりにコツコツ続けて理解していくことや努力する力、努力してきたという自信、数学的に順序を追って(理屈っぽく)考えることが知らず知らず身についていたと思いますし、逆に、なかにはこんな勉強はあまり価値がないということも長い時間の犠牲のもと反面教師的に理解できたと思います。

私はあまり勉強ができなかった方で、塾に行ったり親戚に家庭教師に付いてもらったりしたお陰で、ギリギリ偏差値の低い大学に入ることが出来ました。

その勉強が社会を生きていく上で役に立ったかと言えば、半々ぐらいです。
この意味のなさそうな勉強を目をつぶってするという経験のお陰で、面白くない作業に耐える忍耐も少しは付いたと思いますので、良いか悪いかは別にして、少しは役に立っているとは思います。

負け犬の遠吠えみたいになってきましたが、既存の教育がどうであれ、その勉強ができる人たちはそれに比例して基本的な能力も高く卒なくこなしている様でした。
出来る人たちは、私ほど偏差値教育に疑問を感じる機会が無かったのかも知れませんが、何かしら私と同じく違和感ぐらいは感じていたのではないかと思います。

そんな偏差値教育に私は疑問を持ちながらも、考える力が弱い子でしたから、代わりに何か代替案がある訳でもなく、一般常識に従い学校生活を過ごしてきました。
実社会に出てから、学校教育のお陰で助かったと感じる場面はさほどありませんでした。

前振りが長くなりましたが、そんな長年の違和感が解決できる、もっと実社会で必要な勉強が体系的にまとめられているものを知人から御紹介頂き、「もっとこんな勉強をしたかった」と思えたので是非自分の子供に受けさせたいと思ったのですが、親も同じように学んで力をつけていかないと効果が低いので、一緒に学び一緒に成長していこうと思いました。

社会で強く生きていくための基礎的な力を身につけるために勉強する訳ですから、子供には私が経験してきたような暗記や音読、板書や教科書をひたすら写すといった無駄なことに有限で貴重な時間をできれば使って欲しくないと思っています。

この「オンリーワンスクール」というものを妻の知人から紹介してもらったのですが、そのインストラクターをされたり講師に場所提供されているのが偶然にもいつもお世話になっているキャルファーム神戸の大西さんでして、月一そちらで学ばせてもらおうと思います。

話が長くなりますので、初めて授業を受けた感想はまた改めて書きます。

 

今日のまとめ

・勉強は本来面白いものであり、それをすることによって将来に希望が持てるものです。

ありがとうございました。

(今年の)終身の計

先日のアグリテインメント塾vol.27
メインのテーマディスカッションは『終身の計』

今までは、「いい大学に入っていい会社に入って退職金と年金をもらって」といったひとつの理想とする幸せの形があり、その中で競争がありました。
しかしこれからの時代は、大手企業も社員の終身まで保障できなくなり副業を認めたり、定年後も働くことが当たり前になってきますので、一人ひとり違った目標を持つ時代になってきています。
目標への近道というのは、どの道を選ぶかではなく、自分の理想とする目標を先に明確にしてからそこに辿り着くための道を作り、早く進む・遠回りをしないことが近道です。
そして、その目標を公言することで共感されたり手助けされて早く進みやすくなります。

ということで、

「あなたの終身の計は?そこに向かうためにどんなことが必要ですか?」

という質問でした。

コトコトキッチンの佐々木さんの御飯会と歯科技工士玉串さんのプレゼン発表があったので、各自の発表は各々後ほどして下さいということでしたので、このブログで発表します。

私の終身の計は、
「地域経済・地域コミュニティの活性化」
です。大きく出ましたが目標なので。

これは大西塾長がこのアグリテインメント塾やイベント・教室の開催、または会場提供をされているという点で、既に私の数段先を進んでおられると思います。

地域経済が活性化することで、「誰々が作った野菜を誰々が調理してそれを頂く」「誰々が育てた木で誰々が建てた家に住む」といった生産者の顔やストーリーが見える本来の地域経済にある幸せを感じたり、Amazonのようなグローバル企業と価格競争に飲み込まれずに違う土俵で個性を生かしながらイキイキと事業が出来れば、その大人たちの背中を見る子供たちも将来に明るい希望が持てると思います。

また地域コミュニティが活性化することで人の繋がりが増え、早くに親を病気で亡くした子供(私は末期ガンになり我が子がそうなりかけました)に限らず、子供たちが少しでも生きやすい環境に出来ればと考えています。

「どんなことが必要ですか?」については課題が山積みですが、地域の人が気軽に集まれるハコが必要かと思います。

そこで様々な事業の話し合い、ワークショップや教室を開いたり場所を提供したり、DIYの体験や手伝い、住まいの相談も受け付けたり(仕事に繋がる)、子供が工作したり、寺子屋のようなイメージをしています。
自然と収益に繋げて持続出来るようにすることや新たな価値を創出し続ける為に、私自身が哲学的に考える力が要ると思いました。

また、一人ひとり違った目標を目指していくわけですから、個性的な仕事が増えてくると思いますので益々自分らしさや強みが問われ続け、また変革も早い訳ですから、やり方や終身の計は変わっても「子供に希望を与える」という意図がブレないように気をつけたいところです。

 

今日のまとめ

今年の終身の計は(毎年考えます)、
『地域経済・地域コミュニティの活性化』
です。
その為に寺子屋のようなスペースを作ることと、それを持続できるような価値を創造し続けます。

考える機会をいただき感謝です。
ありがとうございました。

ストーリーのある食事

昨夜は神戸市西区で農家をされているキャルファーム神戸さんの月一の勉強会に参加してきました。

職人起業塾の内容を基にした勉強会で、本家より少し砕けた雰囲気で毎月開催されていて、私も参加させて頂くようになって早一年半ほど経ちます。
ここ数回は本家と少し路線を変えて主催者兼塾長大西さんの切り口の議題でディスカッションしています。

今回は半年に一度の夕食付きで、参加者の農家さんたち持ち寄りの野菜を使って、同じく参加者の野菜ソムリエの佐々木さんが料理し、参加者みんなで一緒に頂くというなんとも贅沢な時間を過ごしました。

長く一緒に勉強してきた仲間が育てた野菜を、そして作った料理をその仲間たちと一緒に頂けるだけで十分に美味しく感じますし、佐々木さんが料理したので美味しいのは当然で、しかも私はここ数年大の野菜好きですから大満足でした。

もうこれだけで立派なレストランが出来てしまいます。
そもそもキャルファーム神戸の大西さんがこの勉強会を始めとする様々なイベントを開催されて、人の繋がりがこのように生まれたことでこうした時間を過ごせた訳ですが、聞くところによると、このようなイベントをするようになったのは大西さんが自発的に始めたのではなく、ご友人から仕事としてご依頼されたことがキッカケで、たまたま参加者の反響が良くその流れで「畑で婚活パーティー」などをしてみたり、JA青年部の全国代表の声がかかったりと、たまたま頼まれごとに応えてきたという感じで、私はもっと意図的にされていたのかと思っていました。
たまたまそんなニーズがあってその中で大西さんがやりたいと思ったことを選択されて来たといった感じでした。

一般的な農家さんのイメージとはかけ離れていますが、柔軟な思考を持てば農家さんに限らず業界を面白くできる可能性がまだまだあるように感じます。

そんなところに集まってくる人との交流を大切にしたいものです。

 

今日のまとめ
・知っている人が育て、知っている人が料理したというストーリーのある食事は、ローカリゼーションでしか味わえない幸せ。

大切にしていきたいと思います。
ありがとうございました。

なぜなぜ3回

以前 職人起業塾で「なぜなぜ3回」という手法を教わりました。
大手企業では結構使っているそうなので、ご存知の方も多いかもしれませんが。

答えを導き出すときに使う方法で、ある問いに対して答えを出しても、それは表面上の答え、又は理由、原因である可能性が十分あり、その答えに対して「ということは?」と次の答えを考えて出します。
これを3回、もしくは答えに納得するまで続けることで「根本的な答え、理由、原因」又は「本質」を突き詰めることが出来やすくなります。

教わってから何度か使いましたが、なかなか優れた手法です。
しかしこの方法があることを忘れがちなので、アウトプットしておこうと思い書きました。

 

今日のまとめ

・「なぜなぜ3回」で考える癖をつける

 

今週は主に、溜まった見積り作成に時間を費やします。その前に今日は(昨日できなかった)週一の振り返りと予定の確認をして、やるべきことを明確にします。
夜はキャルファーム神戸さんで野菜ソムリエの佐々木さんのご飯を頂きながらのいつもより少し砕けた勉強会に参加するので楽しみです!
ありがとうございました。

いい時間を選択

昨日はちょっといい気づきがありました!
と言っても当たり前のことかもしれませんが、ついつい忘れがちになったり、それをするかしないかで葛藤が起こったりしていることなんですが。
結論を言うと「いいことをすること」です。
そのまんまの当たり前なんですが。

いいことをすれば気持ちがいいですが、いいことの中でも簡単なことは直ぐに出来ても、難易度が高いものは自己欺瞞との戦いで葛藤が起こったり、そもそも難易度が高すぎて眼中にない いいこともあります。

昨日で木工事を終わらせる予定でしたが、相変わらず自分の読みが甘く、バリバリ走れたときの感覚で「終わるだろう」とイメージしてしまっていました。

外部の作業ですがスペースや埃の関係で室内で材料を切ってから外に出ます。クロス屋さんの邪魔にならないように色々と気も使いますし、外部はこの店舗の顔ですから、道を行き交う人、この店にちょっと興味を持った人に、少しでもプラスに働くような雰囲気の良い外観になるお手伝いができればと、丁寧に仕上げましたので結果 時間をかけてしまい、仕事を残してしまいました。

今思えば、大きなはめ殺しの窓(FIXガラス)がありますので、そこから見える中の雰囲気が肝心で、顧客心理からすると外壁などは大して見ないかもしれませんが、でも外壁のぱっと見の印象も大切だと思います。

さして言うほど大層な仕事をした訳ではなく、杉の相ジャクリ板(外壁用の幅165ミリの杉板)を止める釘と止め方に少し拘っただけの話なんですが、一般的にはフィニッシュという細い隠し釘の様なエア釘打ち機で一気に仮止めしてから、外壁用のロール釘でエア釘打ち機を使って一気に本打ちします。

しかしここは店の顔ですので野暮ったくならない(安っぽい店にならない)ようにしたいので、真鍮釘に似たアンティーク調の釘を用意できたので、全体をフィニッシュで仮止めしてから、エア釘打ち機では難しいくらいの等間隔に手打ちで止めました。

外壁を茶色に塗るという話だったので、真鍮釘でもステンレス釘でも色が浮いて(目立って)しまいますが、このアンティーク調の釘ならいい感じになると思っておりましたが、塗装は茶色ではなくクリア塗装だそうで、???
いつ変更になったん??
そこ大事やろ!となりましたが、さして問題はなさそうです。
今回の新人の営業・設計士さん要注意。文句を言わず(言ってしまってます)サポートするのが私の仕事です。クライアントですから。

ちょっと日記調になってきましたが、残りを手短に説明すると、現場の残材を事務所まで運びました。
いつもは言われてから少し嫌々でやっていましたが、クライアントですので自ら進んで運びました。
お陰で帰りが大分遅くなりましたが、現場最終日の帰りの運転中にしか感じることの出来ない満足感のような余韻に浸りながら(まだ仕事残ってますが)、いいことをする時間を積み重ねるだけで充分いい人生になるのではないかと感じました。

日頃から目標を立ててそれに向けて自分の時間をそのために捻出していると、それ以外のこと時間を奪われたくないという心理が働きますが、「ほんとはこうしてあげたいのに」という場面が特に子供と一緒にいると感じることがあります。
そんな葛藤があるときは一旦自分のタスクは置いて、それをすることで「いいことをした」と思えるならそうした方がいいと気付きました(当たり前のことなんですが)。

いいことをすれば、自分の時間がいい時間になりますし、有限な人生の時間を出来るだけいいことに充てることで人生がいいものになりますので、いいことが出来た人生ならば、特に大きな目標が達成出来なくとも、それで充分にいい人生じゃないかと思ったのです。

日々取り組むタスクと本当はしてあげたい いいこととの狭間でギスギスするのではなく、それも大事ですが
そればかりじゃないという気づきでした。

 

今日のまとめ

・いい人生とはいい時間の積み重ね

 

今日は日曜で私が子守の日ですが、カミさんが珍しく休みで子供たちをお願いすることができ、残りの仕事を終わらせることができます。折角の家族そろった休みでしたが理解あるカミさんで感謝です。

ありがとうございました。

段取り8割

現場のこと。
昨日はクロス屋さんが現場入り。
本来僕が担当する木工事が終わってからですが、予定より作業が遅れて(増えて)狭い現場なのにガッチャンしてしまった。
いつもの悪い癖。
現場での打ち合わせや追加工事といった後から増えるゆとりを見ていない、いや見積もり段階では見ていたんだけど、工期を詰められてゆとりの分がなくなった工程表が渡されそのままだった。
そもそもやってみないと分からない、自分の読みが正確ではない面もあるのでとりあえずやっていきながらと、放置していた。
後になればなるほど工期の融通が効がなくなる。
一週間ほど前までは工期は余裕だった。しかしそこから変更による手直し、打ち合わせ、納まりの変更、追加工事の発生、それによってまたあっちしいこっちしいで効率も悪くなり、簡単に工期が足らなくなる。

今回は営業・設計が新人さんだったこともあった。判断が遅い。
昨日もふたを開けてみると話と違う色の材料が来ていて、確認しても返答が鈍い、勝手に貼ることはできないので、その間に寸法を測ったり先に昼飯にしたりと時間を稼いで待ったけど、アクセル踏んでるのにブレーキも踏んでるような状態で意外と疲れる。

GOの連絡が来てブレーキ外しても、気分的にちょっと疲れてる。
なんか文句みたいになってきたけど、文句ではありません。
問題を振り返っています。

これらを避けるために私ができたことは、届いた材料は面倒くさくても事前に梱包を開けて中身を確認すること。
そして工期の終わりの方で必ず3日ぐらい増えることを心に刻んでおき、工期が読めた段階でその3日をゆとりとしてではなく確実に必要な工数としてプラスしておく。

それ以外で起こることはもう知りません!

 

今日のまとめ

・段取り・確認作業優先

私ごとにお付き合い頂き、ありがとうございました。