人生とは何か

本日は叔父の家のリフォームの打ち合わせを叔父、叔母、私、妻の4人でしました。

叔父は80歳くらいで、耳が遠いですがまだまだ全然ボケておらず、叔母と共に意識はシャキッとしています。叔父叔母共にあと10年くらいしか生きれないのでその期間維持できる程度にリフォームする、という前提で話を進めています。

10年と言わず、まだまだもっと生きて欲しい。側から見る限りは分かりませんが叔父叔母共に体は少しずつ弱って来ているかもしれません。

ちょっとしたことがキッカケで一気に体が弱ってしまう可能性も高くなってきているかも知れません。

長年夫婦で商売をし、今は店を畳んでいてもう商売をする元気はないでしょうが、意識自体は現役時代と何も変わってないような気がします。

ほとんどの孫が大学生や高校生で、世間一般では「おじいちゃんおばあちゃん」の歳ですが、僕にとっては今までそれほど接点があったわけでもありませんが、「おっちゃんおばちゃん」です。

平成元年にNHKのど自慢でおっちゃんが歌っている写真が床の間に飾ってありました。

約30年前だから50歳くらい。僕からしたらあと9年後の歳です。

商売されていた店舗兼住宅の解体の話や、隣のリフォームする住居を10年後20年後どうするかという話になると、少し涙目になっていて、どこか寂しさを感じている様子が伺えて、切なくなりました。

店舗は国道に面していて、昭和の好景気の時代に繁盛していたと思います。

3人の子供さん達(僕からすると従兄弟の兄さん姉さん)は今現在他の市に定住し、その寂しさもあるかも知れません。

今年別の叔父が2人も亡くなりました。

ちょっとプライベートなことを書き過ぎたかも知れませんが、おっちゃんおばちゃんの意識がまだまだシャキッとしているにも関わらず、残りの人生の時間のカウントダウンに入っているように感じている様子が、なにかやるせないというか、人生ってなんやねんという疑問になりました。

僕は一度大病をして死にかけるところでしたが、それ以来、人一倍「人生」とか「生きる目的」とかは考えてきたつもりです。

なにかを成すことが素晴らしいわけでもなく、なにも成さないことが悪いわけでもないと思っています。

楽しい出来事も悲しい出来事もどちらが良いわけでもなく、辛かった経験が意外と後々良い結果を招いたり感慨深い出来事だったと感じたりもします。

そう考えると、おっちゃんおばちゃんの少し寂しそうな様子も決して悪いものではないのかも知れません。

ただそれによって生きる元気を失わず、まだまだ元気に長生きして欲しいものです。

元気に長生きして欲しいというのは、相手のことを想う半面、そういう元気な様子を見たいという僕目線のある意味勝手な意見でもあり、何でもかんでも元気に長生きすることが正解でもないという風にも今感じました。

店舗のほうにおっちゃんの筆書きした言葉が壁に貼ってありました。

はっきり覚えていませんが、

「とっしょりでなんもできまへん

つんぼでなんも聞こえまへん

せっかく来てくれたのにすんまへん

                       秋田 ◯◯ 

播州弁で達筆な字で書かれており、こんなことを書くおっちゃんが格好良くも感じましたが、おっちゃんおばちゃん共少し切なそうに見えました。

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