損して得取れ

数か月前から、ビデオニュース・ドットコムというインターネットニュース番組にハマっています。

(HPより)ビデオニュース・ドットコムは真に独立した公共的な報道を行う目的で1999年に開局した日本初のニュース専門のインターネット放送局です。

ジャーナリストと社会学者による広く深い視点からの解説が素晴らしく、面白くためになる内容です。

社会を知ることは人を知ることであり、人を知ることは社会を知ることにもなりますが、結局、それらを知ることは幸せな人生を送る上で必要不可欠なことだと思います。

今日仕事から帰ってくると、机の上に「広報たかさご」(高砂市が毎月発行する広報誌)の7月号があり、表紙には高砂市の魅力が箇条書きでたくさん書かれていました。

どれも高砂市らしいものですが、正直「それがどうした?」というものばかり。

ビデオニュース・ドットコムに話を戻しますが、最近の無料放送回(トランプとオピオイドと炭鉱と今)で、町が昔に比べて面白くなくなった理由についての話がありました。

理由は、昔は町の誰もが、徒歩や自転車の移動範囲内で生活していた(要するに地域密着の生活であらゆることを物質的にも精神的にも共有していたことによるつながりがあった)のに対し、近代化の過程で、移動手段が車になり便利になったり、安全性の観点から、子供が外(町)で遊び難く(または遊べなく)なり、どこに何があるということを知る機会も少なくなり、町の人と人とが希薄な関係性になってきた、ということでした。

そうなってしまう理由の一つとして、人は「損得」や「便利」、「安全」といった言葉で規定しやすいことに意識が向く代わりに、言葉で規定されにくい(見えにくい)ことを見逃してしまいやすいということ(特に民度の低い日本人は)。

その結果、町からは違法な露店が排除されたり、道端で遊べなくなったり、日常的に人が集まることや繋がる機会がどんどんなくなり、どこにでもある面白くない町と化したということです。

「広報たかさご」に話を戻すと、ひとつひとつの特徴に魅力がないのではなく、ひとりひとりがそれらにまつわる繋がりがなく思い入れが持てないことに、本質的な問題であるのだと感じました。

「損得」というわかりやすい価値を選択したはずが、よそよそしい希薄な人間関係という結果を招き、経済的に楽になっても、むしろ精神的、感情的には不幸になったことからすると、損得で自分の得を優先したつもりでも実は損をしていたり、損を選んだつもりでも損などしていなかったりと、表面的な損得には価値が少なく、多面的に判断したり感じる必要があることが理解できました。

「損して得取れ」ということわざがあります。

損して得取れとは、一時的には損をしても、将来的に大きな利益になって返ってくるように考えよということ。(故事ことわざ辞典より)

ビデオニュース・ドットコム、おすすめです。

無料放送回もあり、youtubeでも見ることが出来ます。

42歳誕生日

今晩家族に、自分の誕生日を祝ってもらいました。

42歳にもなると、この歳まで生きてこれたことに感謝する気持ちが強くなります。
いずれ死ぬ運命、それがいつか分からない、長い歴史の年表からすれば、自分の人生など極一部でしかない、まるで存在していなかったかのようにいずれ消えてしまう。
でも今は家族が一緒に祝ってくれている。一緒に暮らせる幸せな時間を過ごしている。
無いものを探すよりも、あるものを見落とさない。
今、一番いい時かも知れない。

今まで41年生きてきて、「土」がどういうものかを理解していなかったことを今日知った。今日は月一の農家さんの勉強会にて、女性農家さんのプレゼンテーションを聞かせて頂いた。

「堆肥(たいひ)」「肥料」「農薬」などの興味深い説明を受ける中、「堆肥が土になる」ということについて、自分が多少勘違いをしていることに気づいた。

一般的に「土にかえる」とよく言われるが、植物や動物の死骸が土に分解されて土に混ざる、土というベースに混ざると思っていた。

葺き替えた茅葺(かやぶき)屋根のかやを堆肥として利用している見本として、かやから土に変化している状態のものを見せて頂いた。

まだかやの状態の部分と土になりかけている部分と土になっている部分。

土になっている部分は土そのものでした。

微生物に分解されて土に混ざるのではなく、土そのものに変化しているということが見て取れました。

土以外の様々なものが発酵して土そのものになって混ざり合い土というものが構成されているのが実際で、土ではない発酵物が土に混ざっているのではないことを、視覚的に理解できました。

逆に、土から植物が生えるということは、土が再び植物に変化しているのであって、土というものは、草になったり、木になったり、様々な物に変化する変幻自在な不思議な物体であることを、この歳で初めて理解した。