ステージⅣ宣告から5年経って

これまでのOB客様に四季ごとに送っているニュースレターのコラム欄に書いたことですが、修正してブログに転載します。

先月、2度目のガン手術から丸5年が経ちました。
大腸ガンから肝臓への転移し、術後の再発・転移の可能性は高く、同じ経緯をたどった患者の統計データから、5年生存率12%と診断されていました。
その当時は、自分だけ一足先にこの世から去ることになる、子供たちはどうなってしまうのか、家族が遺品整理をしなくていいように大工道具や車を処分すること、などを考えていました。
しかし、死ぬ前から残りの時間を消化試合のように過ごすのではなく、諦めずに治す努力に精力を向けることにしました。
様々な治療法を調べる中で、免疫機能や代謝機能を回復させ高めることが必要だとわかり、またそれに特化した歴史ある食事療法(ゲルソン療法)に運良く出会う事ができました。
約1年半仕事を休み、コーヒー浣腸という解毒方法で、それまで体に溜まっていた毒を少しずつ出していきながら、新鮮な野菜や果物、毎日10杯の搾りたての野菜ジュースからたくさんの栄養を摂り続け、末期のガン体質から健康な状態にリセットすることができました。
それまでの自然から離れ過ぎた食生活から、自然により近づいた食生活に変わり、今後再発・転移すること(ガン体質に戻ること)は無いと理解しています。
ガン治療の世界では、手術から5年経って再発がなければ、ほぼ治ったとされています。
自分は自信を持ってゲルソン療法をお勧めします。

いつも自然に近い方へ
それがあなたを守ってくれるから
Dr.マックス・ゲルソン

参議院選挙が終わって

この選挙期間中、youtube で選挙活動の動画を毎晩見ていました。

なかでも、山本太郎氏が立ち上げた「れいわ新選組」に大きな関心を持ち、個性的な10名の立候補者の演説や講演の話は、それぞれ現場の当事者の訴えであり、身体障害者の方2名、女装を肯定する東大教授、元外資系金融機関社員、元コンビニチェーン店オーナー、創価学会員、環境活動家、元東電原発社員、元ホームレスのシングルマザー、皆さん現場の問題点を理解され、一人ひとりの人権や多様性が尊重されている政党に感じました。

「弱者にやさしい社会」は自分が弱者になっても安心できるみんなにとって優しい社会であり、彼らのような候補者を擁立された太郎氏に深く共感します。

政治や社会のことに無関心であったり関心があっても詳しくはない庶民にとって、彼らのような当事者の声は響きやすく、何を訴えたいのか興味を持つことができます。これまでの政治や、政治家たちによる話が、いかに庶民に伝わりにくく、また庶民からの声も届きにくく、無関心を助長さてきたかが、この当事者たちの本音の訴えとの違いによってよくわかります。

それは2世3世のお坊ちゃま政治家たちが庶民感覚とかけ離れているからだけでなく、本音で話しているようには思えない説明や議論、重箱の隅をつついて勝ち誇ったり、プロレスのような言葉遊びや感情的な印象操作に注力し、政治がわかりにくく、庶民の声など到底届かない、反映されない、そんな政治に我々は飽き飽きしてしまっているように思います。

我々と同じ庶民、または我々が関心を持ちやすい切実な訴えを持った当事者が国政を担うことで、我々の生活と政治が直結しているというあるべき姿を理解し、組織票の中にもいる無関心層を少しずつ取り込みながら、庶民の声が届きやすい政治に変わっていく小さな兆しが、まだまだ少しですが見えたように思います。今回は結果的に2名の方が当選され、見事に新しい風穴を開けてくれることになるでしょう。

無関心層が関心を持つキーポイントは、自分の生活に直結していると感じることと、その政治家の訴えが「本音かどうか?」の2点ではないかと思います。これと真逆のことを日本のこれまでの政治が行ってきたのではないかとも思います。

自分自身に当てはめたとき、自分は本音で事業をしているか、また行動が伴っているか大いに反省、確認する必要があると感じ、お客さんの生活に直接的でも間接的でも関係することを発信する必要性も感じます。

人の振り見て我が振り直せ。常に自己欺瞞との闘いかもしれません。

弱者にならないと気付かないことは多いですし。

映画「ザ・フード・キュア」を観て(ネタバレ)

私は今から約5年前、大腸ガンから転移した肝臓ガンが見つかり、開腹手術により肝臓の腫瘍を無事に取ってもらうことができましたが、再び肺や脳、そして骨に転移する確率が高く、5年生存率12%、ステージⅣと診断されました。

術後の治療法に抗がん剤治療を勧められました。抗がん剤を続けた場合3年後の生存率はそこそこ上がる(一定の効果がある)ものの、その2年後(5年生存率)は抗がん剤をしなかった場合と比べて1~3%程度しか差がないという説明を受けました。

抗がん剤にあまり期待できない状況は逆に、自分が治療方法を根本的に見直すきっかけになり、結果的に良かったと思っています。

そして今思えば様々な偶然によってゲルソン療法に出会い、実践し、ガンの体質から回復することができました。

そのゲルソン療法に関する映画が完成し、日本でも上映されるということで、昨日京都の上映会まで夫婦で足を運びました。

その上映会の主催者であり、私の治療のサポートをして頂いたゲルソン・アンバサダー、食生活・医学ジャーナリストの氏家京子さんから、この映画ができた面白い経緯の説明がありました。

この映画の監督は、「ガンを食事で治す」といった類の治療法に対して、「藁をもつかむ思いで治療法を探しているガン患者たちをカモにしたようなインチキな商売だろう」という印象を当初は持っており、ジャーナリストとして取材をした後その真実を暴き雑誌に投稿する予定でした。

しかし実際に、取材を迎え入れてくれたクリニックのスタッフや入院している患者に接したり、その療法のマイナス面やうまくいかなかった患者も紹介されるなかで、ここで行われている療法はインチキなどではなく、「食事でガンを治している。これは世に知らしめる価値がある」と感じ、当初1週間程度だった取材予定を変更し、約8年掛けてこの映画を作成したそうです。

映画の内容は、「食事」をガン治療の手段として選択をした6人のガン患者たちを5年以上取材したドキュメンタリーで、治療をする上で困難に感じることや、本人や家族の葛藤、心身の変化などを本人たちがコメントしていました。

結果的に6名中2名がうまくいかず、命を落とされました。

大量のオーガニック野菜やサプリメントを必要とし、家族の理解やサポートも必要で、亡くなられたうちの1名は、退院後の自宅ではたぶん一人で頑張っておられたことや、(この療法に迷いがあったのか)途中で別の療法に変えたり、生活費が確保しにくくなり、最終的に医療大麻に頼るようになってしまっていました。

もう1名の方は、療法で禁止されているいくつかの食べ物やアルコールを治療中2年間摂り続けていて、その後1か月だけ療法を守ってみたけど、よくならずに諦めたのか最終的に亡くなられていました。

亡くなられたこの2名は、この食事療法を深く理解されていなかったのではないか私は感じました。

人によってこの療法に対する感じ方(ストレス度合)は違うと思いますが、深く理解されていなかった故に、自己流による損失の大きさが分からなかったり、迷いが生じたのではと感じました。

本当の理由は分かりませんが、とても興味深く感じています。

この映画を観ながら、自分がこの療法に出会ったことや取り組んでいた頃に困ったこと(大量の食料確保のための金銭的な問題、夫婦の価値観の衝突など)を思い出し、様々な障壁がある中でいろんな偶然が重なって良い結果になっていたことに気付けました。

この様々な障壁を取り除いて行くことが、この療法の今後の課題であると思います。

この療法のメカニズムについては、また別の機会に説明することにしますが、私の知る限りこの療法に勝るガン治療法はありません。

しかし、いくらこの療法に価値があっても、実際に標準治療として健康保険の補助が出るというは夢のまた夢だと思います。

それを実現するには、食事や医療の一般常識を根底から変えるだけでなく、今の標準治療にまつわるあらゆる既得権益を潰さなければならず、それに変わる新しく大きな権益でも生まれない限り、並大抵の力では既存の大きな権益構造を変えることは不可能だと思います。

それよりも、「食べたもので体が作られている」「医者が体を治すのではなく、自分の体が治している」という基本的な事実を忘れた人々に対してのわかりやすい説明や、病気になるメカニズム、食事療法のメカニズム、食事療法に取り組むうえでの様々な障壁や失敗した理由の検証を地道にやっていくことで、着実に力や信憑性をつけていくことに、自分は関わって行きたいと感じています。

映画上映後、このために来日された米国ゲルソン・インスティテュートのアニータ代表が、「ゲルソン療法は決して完璧な療法ではない。末期ガンのより末期の患者や、白血病やパーキンソン病、小児ガンに対しての実績はなく、そういったマイナス面もしっかりとアナウンスしていく必要があります。」というようなこと、要するに「この療法は完璧ではない」ということを話されていました。

私は「完璧な療法」だと思ってたところもあり、様々なマイナス面や困難を見直すキッカケにもなりました。

6人の登場人物のうちの1人は皮膚ガンの赤ちゃんで、ゲルソン療法では子供に対する実績がなく、ゲルソン療法と似たメキシコの食事療法を実践していました。療法の名前は忘れましたが、その療法のホームページを見てもポルトガル語らしく、どんな内容かは分かりませんが、ゲルソン医師と同時代に活躍した医師による療法だそうです。

その赤ちゃんが、ミルクをやめてから野菜食の療法を始め、保育園などに行く数年後には皮膚ガンが無くなっていましたが、この野菜の食事を続けており、両隣の子供たちが親が用意したハンバーガーなどのジャンクフードの昼食を食べている横で、それらには目もくれずに野菜の入った自分の昼食を美味しく食べる姿が印象的で、小さな子供であっても食習慣が定着すれば、簡単には周りに流されなくできることを理解しました。

念のためここに記しておきますが、ゲルソン療法はヴィーガン(野菜のみ)ではなく、動物性の食品も摂取します。

私もそうでしたが、食事や医療に対する常識を一度に変えることは難しく、何度も何度も情報に触れ、考え、調べる中で、ある時ガラッとパラダイムシフトが起こり、それまでは胡散臭いと感じていた情報に対して、自分の中で信憑性が一気に高まり、今まで信じていた常識が愚かな考えであったことに気付きます。

「理解してもらえないから」と諦めるよりは、理解はできないだろうが、いつか理解されるときのためにコツコツと情報を伝えることが大切だと感じます。

医療に限らずまた別のドキュメンタリー映画を観たいとも思います。

損して得取れ

数か月前から、ビデオニュース・ドットコムというインターネットニュース番組にハマっています。

(HPより)ビデオニュース・ドットコムは真に独立した公共的な報道を行う目的で1999年に開局した日本初のニュース専門のインターネット放送局です。

ジャーナリストと社会学者による広く深い視点からの解説が素晴らしく、面白くためになる内容です。

社会を知ることは人を知ることであり、人を知ることは社会を知ることにもなりますが、結局、それらを知ることは幸せな人生を送る上で必要不可欠なことだと思います。

今日仕事から帰ってくると、机の上に「広報たかさご」(高砂市が毎月発行する広報誌)の7月号があり、表紙には高砂市の魅力が箇条書きでたくさん書かれていました。

どれも高砂市らしいものですが、正直「それがどうした?」というものばかり。

ビデオニュース・ドットコムに話を戻しますが、最近の無料放送回(トランプとオピオイドと炭鉱と今)で、町が昔に比べて面白くなくなった理由についての話がありました。

理由は、昔は町の誰もが、徒歩や自転車の移動範囲内で生活していた(要するに地域密着の生活であらゆることを物質的にも精神的にも共有していたことによるつながりがあった)のに対し、近代化の過程で、移動手段が車になり便利になったり、安全性の観点から、子供が外(町)で遊び難く(または遊べなく)なり、どこに何があるということを知る機会も少なくなり、町の人と人とが希薄な関係性になってきた、ということでした。

そうなってしまう理由の一つとして、人は「損得」や「便利」、「安全」といった言葉で規定しやすいことに意識が向く代わりに、言葉で規定されにくい(見えにくい)ことを見逃してしまいやすいということ(特に民度の低い日本人は)。

その結果、町からは違法な露店が排除されたり、道端で遊べなくなったり、日常的に人が集まることや繋がる機会がどんどんなくなり、どこにでもある面白くない町と化したということです。

「広報たかさご」に話を戻すと、ひとつひとつの特徴に魅力がないのではなく、ひとりひとりがそれらにまつわる繋がりがなく思い入れが持てないことに、本質的な問題であるのだと感じました。

「損得」というわかりやすい価値を選択したはずが、よそよそしい希薄な人間関係という結果を招き、経済的に楽になっても、むしろ精神的、感情的には不幸になったことからすると、損得で自分の得を優先したつもりでも実は損をしていたり、損を選んだつもりでも損などしていなかったりと、表面的な損得には価値が少なく、多面的に判断したり感じる必要があることが理解できました。

「損して得取れ」ということわざがあります。

損して得取れとは、一時的には損をしても、将来的に大きな利益になって返ってくるように考えよということ。(故事ことわざ辞典より)

ビデオニュース・ドットコム、おすすめです。

無料放送回もあり、youtubeでも見ることが出来ます。

42歳誕生日

今晩家族に、自分の誕生日を祝ってもらいました。

42歳にもなると、この歳まで生きてこれたことに感謝する気持ちが強くなります。
いずれ死ぬ運命、それがいつか分からない、長い歴史の年表からすれば、自分の人生など極一部でしかない、まるで存在していなかったかのようにいずれ消えてしまう。
でも今は家族が一緒に祝ってくれている。一緒に暮らせる幸せな時間を過ごしている。
無いものを探すよりも、あるものを見落とさない。
今、一番いい時かも知れない。

今まで41年生きてきて、「土」がどういうものかを理解していなかったことを今日知った。今日は月一の農家さんの勉強会にて、女性農家さんのプレゼンテーションを聞かせて頂いた。

「堆肥(たいひ)」「肥料」「農薬」などの興味深い説明を受ける中、「堆肥が土になる」ということについて、自分が多少勘違いをしていることに気づいた。

一般的に「土にかえる」とよく言われるが、植物や動物の死骸が土に分解されて土に混ざる、土というベースに混ざると思っていた。

葺き替えた茅葺(かやぶき)屋根のかやを堆肥として利用している見本として、かやから土に変化している状態のものを見せて頂いた。

まだかやの状態の部分と土になりかけている部分と土になっている部分。

土になっている部分は土そのものでした。

微生物に分解されて土に混ざるのではなく、土そのものに変化しているということが見て取れました。

土以外の様々なものが発酵して土そのものになって混ざり合い土というものが構成されているのが実際で、土ではない発酵物が土に混ざっているのではないことを、視覚的に理解できました。

逆に、土から植物が生えるということは、土が再び植物に変化しているのであって、土というものは、草になったり、木になったり、様々な物に変化する変幻自在な不思議な物体であることを、この歳で初めて理解した。

がん保険にあまり価値はない

今朝の新聞で、アフラック(がん保険)のことが書かれていたので、がん経験者として思うことを書きます。
日本では「2人に1人がガンになり、3人に1人がガンで死ぬ」と以前から言われています。
団塊ジュニア(自分も)が40歳代になり、がん保険の需要はまだまだ伸び代がありそうです。

しかし、がん保険にはほとんど価値がないと思っています。
「2人に1人」なので、単純に1人1万円払えば、ガンになったとき2万円返ってきます。
しかし保険会社の商品なので、宣伝広告費や社員の人件費、会社経費など、保険料と関係ないものに使われてしまうと、返ってくる額は知れていると思います。
それがいけないと言うわけではありませんが、大勢で1人のがん患者を支えるのではなく、「2人に1人」の時点で、満足いく金額が降りてくるとは思えません。

「貯金がないので、保険に入っておかないと治療費が払えないから」という理由で保険に入る方は多いかもしれません。
しかし、保険料で手術ができてガンを取り去ったとしても、また再発する可能性は残ります。
それは、とりあえず保険料だけ支払っておいて、虫歯になったら保険で治して、また虫歯になったら保険で治して、という後からの対処であって、本来は虫歯にならないために時間を費やした方が歯にも財布にも優しいと思います。

ガンは予防できます。
ガンは生活習慣病で、一言で言うと
【食べ過ぎ、またはそれに見合う運動不足】
が原因であると自分は得心しています。

1日3食も食べなくても死にません。
むしろ、少ない方が病気になりにくく、お腹が空いている方が免疫機能が活性しているそうです。
人類の歴史の中で飽食の時代はここ数十年、数百年のごく僅かな期間で、体はその状態に慣れていません。

農業の世界でも有機栽培(人間が土に肥料を与えた作物)より自然栽培(野花や木が勝手に育つように、人間が必要以上に土に手を加えない)の作物の方が腐りにくいそうです。

人間も作物も、与えすぎない方が自力で生命力を維持しようと強くなるようです。

因みに説得力に乏しいかもしれませんが、「癌(がん)」という漢字の中に「口」が3つもあります。
食べ過ぎによる病気であることを先人たちは知っていたと思われます。

以上のことは、自分が得た知識や考えでしかありませんが、強く自信を持っています。

なにかとプラスして対処しがちですが、その分支払いも増え、働く時間も増えます。

要らないかもしれないものを減らし、もっと本質的に考える努力、時間を作る必要があると思います。

第63回職人起業塾 キャルファーム神戸 ホットシート

今回は新しいビジネスモデルを考える3ヶ月に一度のホットシート回で、神戸市西区の農家、キャルファーム神戸さんのビジネスモデルをみんなで考えました。

キャルファーム神戸代表の大西さんは、農家の枠にとらわれない様々な取り組みを既にされており、収穫体験だけでなく、野菜ソムリエさんの料理教室、畑でラフターヨガ、畑で婚活、ニートの社会復帰支援、野菜くずの肥料化の共同開発、私も参加させてもらっているアグリテインメント塾やオンリーワンスクール、その他様々な集まりの役員などを兼任されていて、JA青年部全国の会長も経験され、人脈・知識・経験なども豊富で、
今回のプレゼンでは、『土をつくり 人をつくり 未来をつくる』という企業理念のもと今まで活動されてきた内容や、業界が抱える懸念要素、野菜をインフラ化したり物売りから脱却し新しい仕組みを作りたいといったご要望を語られました。

新しいビジネスモデルを考える上でリソース(資源)がたくさんあり様々な可能性を感じますが、他のテーブルで発表されたビジネスモデルの内容がその発表者らしい視点の意見で、人それぞれの立場の違い、要するに異業種の方の視点が新鮮であり可能性を広げることも感じました。
ちなみにそのビジネスモデルは、他店との差別化に取り組みたい飲食店に対して、自社農園で育てた野菜で料理を提供するというブランディングで、わざわざ自社で農園を持たなくてもキャルファーム神戸さんの畑の一角を自社農園として借り、その畑を自社の研修に使ったり、世話できない分はキャルファーム神戸さんにサポートしてもらうというもので、飲食店を経営されている方が発案したであろう意見でした。

自分が座ったグループでは最後までまとまりませんでしたが、小中学校向けの農業体験・職業体験として、子ども食堂など地域の子供向けのコミュニティに対して収穫体験プラス料理教室など、健康や食育も含めた価値提供という方向性になりました。
これは自分の事業を子供向けにシフトしていきたいという自分なりの視点が影響した結果でもあります。

1つの業界の視点に留まらず、異業種の視点から生まれる可能性という意味では、大西さん自身は既に分野を超えた様々な活動をされていますし異業種の方の人脈も豊富で、「複合施設的な拠点の一つにしたい」とも仰られていましたし、これからの大きな社会変革の時代には1つの職種に固執せず異業種の視点を持つ重要性も考えると、コワーキングスペースやワークショップの拠点として人が集まりやすい場を整えることで、ローカルな情報や人材が集まる拠点になる可能性は充分にあります(全然具体的になっていませんが)。

『土をつくり 人をつくり 未来をつくる』という企業理念や、「食べ物をフリーにしたい」「行政に頼らず皆さんと一緒に新しい価値や仕組みを生み出したい」という想いは素晴らしく、業種の枠にとどまらない未来に向けた可能性を考える有意義な時間を過ごすことができ、またキッカケを頂きました。

オンリーワンスクールファミリーセミナー神戸2018.11.21

昨日は昼からオンリーワンで、懇親会もあり子供も連れて4人で参加。

今回学んだことは、

①外国人移民と今後の自分たちの生活

②日本人の危険な民族性

③「時間がない」理由

④大学で学ぶこととは(知識とは)

⑤「子供にとって必要なこと」の中で「学校のテストの点数」が占める割合

⑥哲学とは

⑦大人になってからの勉強の重要性

⑧教師(または教育現場)の流動性

①外国人移民と今後の自分たちの生活

今現在、入国管理法改正が議論されています。移民を受け入れる・受け入れないことが今後の日本にとって、また自分たちの生活にどう関係してくるか。

日本の人口は1億2千万人から50年後5千万人に減少しますが、「外国人移民によって人手不足を補う」という話ではなく、それはAIの進化によって解決し、それよりも税収が減ることで今現在税金によって国民が享受できているインフラなどのサービスが縮小することにより、国民の生活レベルが今より確実に落ちていきます。その税収不足を外国人労働者に納めてもらうことで補うということが本来の重要な論点とのこと。

私の考えとしては、AI化により人間の仕事が減ることで人手不足が補たり自由な時間が増えてくるのではと思いますし、

優秀な外国人移民を受け入れることで短期的にはそのぶん日本人が淘汰されることになりますが、長期的に社会全体を見れば流動性が生まれることで日本社会がグローバルな水準に押し上げられると思います。よって移民受け入れは賛成。

②日本人の危険な民族性

日本は治安が良いという話が出ました。

治安が良いとは、国民の安全が守られているということですが、もともと日本人は危険な民族だそうめす。

9.11でイスラム過激派が貿易センタービルに自爆テロを起こりましたが、日本も過去に特攻部隊があり、命を捨てるという危険な考え方があり、そんな危険な考えをする民族はイスラムと日本ぐらいだそうです。

そんな危険な民族であるからそうならないように(バカな国民にするために)今のような考えない教育になった側面も多少あるようです。

③「時間がない」理由

日本人は子供に何でも買い与えます。子供の相手をするのを面倒くさがってDVDなどを与えたりします。子供に何でも与えても子供は育ちません。むしろ与えない方が育ちます。

しかし、「時間がない」を理由に子供との時間を大切にしません。仕事が中心になってしまっています。本来なら「生活」を中心にしながら「仕事」をどうするか考えるべきです。なぜそこが狂うか、その理由の1つは商業主義に踊らされて「大学に入らなければダメ」「保険に入らなければダメ」「〇〇をしなければダメ」と騙されて、その為に仕事に時間を取られてしまっています。

そこを今一度考え直さなければなりませんとのこと。

私も以前息子に折り紙を一緒にするようにせがまれ、一緒にしたものの、早く終わらせい気持ちが大半を占めていました。

しかし、この子供との対話の時間が大切であり豊かさや幸せに直結したことであるので、見直す必要があります。

④大学で学ぶこととは(知識とは)

結論から言うと大学は「研究するところ」だそうです。

研究しに行って、たくさんの知識を得たところで、知識の活用の仕方がわかっていなければ知識は引き出せず意味がありません。「知識」よりも「知識を活用する力」の方が倍以上重要で、また「知識」をたくさん身につけると勉強した気になってしまい、「考える力」「活用する力」が身に付かなくなるそうです。

私自身の経験から言っても大学で建築を学びましたが、決して実務的な内容ではなく抽象的で、リアルな感覚が湧かずにイマイチしっくりきませんでした。そんなこともあり現場仕事を通して理解したいと言う気持ちも芽生えて、今の仕事に就いたという側面があります。

大学ではたくさんの知識を学びます。しかしその活用の仕方は教えてくれません。小さい頃から活用する力を鍛えた上で大学に行く必要がありますし、そもそも大学で研究をしたところで就職できるのか、大学に行く必要があるのか問う必要がある、という話でした。

⑤「子供にとって必要なこと」の中で「学校のテストの点数」が占める割合

子供にとって必要なことは主に能力(提案力、分析力、想像、企画など)と考え方(目的と、生きる、全体・部分など)で、学校のテストの点数とそれらはあまり関係がない。100点取ることに特に意味はなく、学校のテストの勉強は、「自分らしく勉強する」こととは正反対です。

「自分らしく勉強する為に、親が何をしてあげられるか」という問題でもあり、何のために勉強しているかといえば、「自立して社会で生きていくため」です。

テストで100点取ることや宿題をするということはそんなに大切なことではない、むしろ逆でした。

⑥哲学とは、「~とは何か?」を考えることで、哲学のテーマは山ほどあるとのこと。

勉強とは、1つのことを探求したり、あるものとあるものの関係性を探求するこの。

⑦大人になってからの勉強の重要性

社会は常に変化していきます。変化に対応するためには勉強しなければ対応できません。

子供の時よりもむしろ大人になってからの方が勉強が大切とのこと。

世の中で大成している人は、学生時代はあまり勉強せず社会人になってから勉強されている方が多いそうです。

⑧教師(または教育現場)の流動性

教師は、我々個人事業主やサラリーマンたちとは違って、教師になった時点で後は心配せずとも食いっぱぐれません。

社会経験もそこで止まっていて、良い成績を取って就職することがゴールのような感覚なのだと思います。

海外では(どこの国だか聞きそびれましたが)3年おきくらいに民間企業から教師になったり民間企業に戻ったりしているようです。

日本の教員は終身雇用でしたが、今後は数年ごとに更新することになっていくそうです。

流動性がないと腐ります。

付き合う人を選ぶ

先日、毎月通わせて頂いている農家さん主催の勉強会で、参加者の皆さんの意見を聞きながら、自分の人生や仕事における大切な考え方を学びました。

現在のアメリカのバスケナンバーワン選手が、故郷に無料で小学校を建てたり子供たちに自転車を与えた話や、
ある不登校の小学生が近所のおじさんに畑でトマトの育て方を覚えてもらい、それで生きていける(飯を食っていける)自信を持ったという話を、参加者の農家の方が話してくれました。
そのあと、ご自身も「野菜や食べ物の育て方を世間の子供たちに教えることで、貢献したい。そして、自分の仕事(農家)が無くなることが究極の最終形だ。」と仰られていました。
それに対しこの会の主催の農家さんも、「野菜をインフラ化していつでも自由に食べれるようにしたい」と以前からも仰られていましたし、参加者の歯科技工士さんも、「虫歯になる人をなくして自分の仕事がこの世からなくなることが最終的な目標」とこれまた以前から仰られておりました。

このお三方の似たご意見を聞いて、それは自分が働く建築業界でも同じことが言えて、最近弊社が打ち出したDIYサポートも同じで、そもそも自分は「子供たちに希望を与える」という目的があり、DIYサポートの対象を主に子供にすることで目的と直結したサービスになるということに気付きました。

ここで整理すると、目的は「子供に希望を与えること」。
コンセプトは「豊かな人生、豊かな日常、心のゆとり」。
具体的なサービスは「DIYのサポート」です。
日々の業務で「子供たちにDIYを体験させること」で、「ものづくり・住まいづくりの楽しさ」「仕事という社会経験」「この仕事で食っていけるという自信」を少しでも感じとってもらうことで「子供たちに希望を与える」という目的にも添うことができます。

AIやロボットによる自動化で、人の仕事が少しずつなくなっていこうとしていますが、リフォーム業界にとっても、テクノロジーの発展により家の改装やメンテナンスを誰もがもっと手軽にできるようになること、もしくはメンテナンスフリーになることで、少しずつ自分の仕事が無くなり、それが業界の究極の最終ゴールになるのではないかと自分も思います。
今現在は、主に大工仕事の下請けや、エンドユーザーに対してリフォームプランの提案や施工、アフターサービスなどを売りにして事業を行なっておりますが、DIYサポートに少しずつシフトしていきたいと考えております。

志のある方々に囲まれながら大変良いヒントを頂けました。
付き合う人で人生は少しずつ変わっていくと思います。