クライアントが知りたいこと

私はこのブログを自身の事業の発信として使っています。仕事としてブログ発信をしている訳ですが、趣味の範囲なら独学でもいいですが仕事としての効果を求めていますので、プロに教えてもらい上達する必要があります。そんな訳で今日はブログの書き方を学ぶお勉強に参加しました。

4回目となる今回は伝え方の具体的なレクチャー。
言葉の使い方では、「させていただく」という表現の注意の仕方と「てにをは」の的確な使い方の説明など。
その言葉の使い方によって、読み手は話の内容よりも言葉づかいの間違いに意識が向いてしまったり、また発信者の人間性が現れてしまうことも分かりました。

文章の構成では、「序論、本論、結論」又は「起承転結」にすることを毎回意識すること。

言われてみれば当たり前のことでも、独学でブログを書いていたこともあり、言葉や構成に注意を払っていなかったので、そこに意識が向くようになるキッカケになったことは大きな収穫ですが、今回はそれ以上に、ブログに書く内容を「自分が仕事で出来る具体的なこと」や「対策方法・修繕方法(DIYも含めて)」といった、仕事と直結することを書いていったほうがいいとわかったことがより大きな収穫でした。

対策方法や修繕方法を具体的にたくさん投稿することでそれがコンテンツになるだけでなく、わかりやすい情報がたくさんあれば読み手にとってナンバーワンの存在になり、仕事を私に依頼しようと思うということが実感できました。

見込み客・クライアントに対して私が出来ることを丁寧にたくさん書いていき、仕事に繋がりやすくしていきます。

 

今日のまとめ
・クライアントは私が仕事で何が出来るのか、クライアントのことが好きかを知りたい。

有難うございました。

藤原ひろのぶさんお話会 その4 価値と貨幣

世の中には様々な社会問題がありますが、ひろのぶさんは個人事業という形で世界の貧困問題の解決に取り組まれています。
社会活動を海外で、事業で、個人でというのはなかなかの覚悟が要ると思いますが、それが出来る理由を知りたいと思い、以前にも少し書きましたがひろのぶさんが社会問題に取り組み出したキッカケを聞いたところ、お父様の影響とのことでした。

お父様は事業を失敗されたそうですが、「世の中は先にお金を追い求めているが、本来は問題を見ることが大事であって、その問題を解決してからお金を頂く」と口酸っぱく言われていたそうで、事業を失敗してもその姿勢を通されていたので説得力があったそうです。

社会問題に取り組む以前のひろのぶさんは
「仕事はお金を稼ぐ手段、自分たちの家族が生活するお金を稼ぐ手段」
と考えていたそうですが、海外に行き現地の人に感謝されて、
「社会問題を解決してその対価としてお金をもらわないといけない」
と気づいたそうです。

 

コンビニに並んでいるものは、人の健康を考えた物は1つもなく、
「どうやったら売れるか、どうやったら利益が出るか」
が先に来ている。

コンビニに限らず、利益が先に来ている会社で働いている人にそのことを指摘しても、「家族を養っている」
という印籠を出されると何も言えません。
しかしそれを社会全体で容認してしまうとどうなるか?

「本当に価値のあることに自分たちの時間や労力を使うことがすごく大事」
だと海外に行くことで気付き、
それを感じることが出来る場が日本では少ない。

アフリカでは店の食事にクギが入っていたことがあったが、店員にそれを指摘すると爆笑している。
後続車におかまを掘られたが、軽く謝られたあと早く行けと指示される。

日本では飯屋でエアコンがついていなかったり、小バエが飛んでいるだけでクレームをつける。
ちょっとバンパーが当たっただけで保険で弁償する。
要らないものを買ってそれに囲まれ過ぎて、そのために働いて人生の時間を浪費してストレスを抱えているのが日本。

それを聞いて、本当に価値のあることのために時間を過ごしているのか疑問を感じます。昨夜今年度末の確定申告などの支払い金額が分かり家計が厳しいことが分かりました。一生懸命働いても生活が厳しいと感じる場面が多い訳で、今までも何度も家計を見直して来ましたが、今回の話を聞いて本当に価値のあるもの以外への出費がまだまだあるのではないかと思いました。商業的にあれもこれもと用意されて支払っているものを改めて見直さなくてはなりません。

 

半分詐欺のような不動産投資が儲かり、独居老人を見守るために訪問するような社会的に価値ある活動にはお金が集まらない。
社会問題への活動は「ボランティア」のようなイメージがあり、儲けることが許されないような空気があります。
これは「価値と貨幣の乖離」で、価値がある活動とそれに対するお金の対価が比例していないということ。

価値というものは大衆が決めるもので、人は好きとか楽しいといった感情で物事を決めたあとに正しいとか理由付けをするので、価値は時代によって変化もするしみんながみんな真剣に考えているわけではなく大衆の気分で決まっていくようなもの。

そして人がお金を払いたいと思う場面は消費だけでなく、好き、楽しいといった要素があり、社会活動を継続するためにもそれら様々な要素を理解して儲かる仕組みが大切。

ということでした。
ひろのぶさんの話を聞いた私が咀嚼した内容を書きましたので、表現の仕方は若干は違うと思います。

特に印象的だったのは、
「本当に価値のあることに時間や労力を使うことが大事。日本ではそれに気付く機会が少ない。」
というところです。
またコンビニの例えと同じく、私も「どうしたら売れるか」が先行しています。
それをみんながみんな容認し続けると価値と貨幣の乖離は開いたままで、結局自分たちが困ることになります。
出来るだけ価値のあることに時間と労力を費やしたいと思いますが、そのためにはそれを継続するための収入の仕組みをよく考えていく必要があります。

「ビジネスモデルを確立する」という今年一年の計を立てているのですが、何かとヒントを頂きました。
私も社会問題に少しぐらいは取り組みたいですし、そんなことを考えていると、自身の病気の経験を人の役に立てることになるかと思いました。
それを大工仕事と直結することには無理があるかも知れませんが、社会問題というのは色んなことに繋がっていますので、建築における商業ベースの常識を大工仕事を通して本当は要らないんじゃないの?という視点を持って取り組むことで、収入を得ながら本当に価値のあることを探していきたいと思います。

このお話会は内容が濃かったので、4回に分けて振り返りましたが色んな示唆のある質の高いお話会でした。感謝です。

 

今日のまとめ
・社会問題は色んなことに繋がっているので、建築の分野で社会問題に取り組むことは可能。本当に価値のあることに時間と労力を使いたい。

ありがとうございました。

藤原ひろのぶさんお話会 その3 貧困問題の原因

開発途上国の貧困問題は先進国に住む我々の生活と直結しているというお話を聞きました。

日本の1人当たりの食料廃棄量は世界で7位、アジアではダントツ1位。
国の発表では、日本の食料廃棄量は全体で1千900万トン、そのうち612万トンが食べれるのに捨てられています。
これは世界の食料援助量300万トンの2倍もの量。

以前1993年に冷夏の為コメ不足になった日本は、タイの一番良いお米2000万トン送ってもらったが、「美味しくない」と大量に廃棄した。
一方タイでは国内で足りなくなった米の価格が高騰し、食べれなくなった人や餓死した人が出た。

開発途上国では大豆、小麦、パーム油、ゴム、コットンなどを先進国に輸出するためにプランテーションという大規模農業を行い、連作障害で荒地になった土地を放置してはまた次の土地へと移動している。
その荒れた時は政府がひた隠しにしている。

コーヒー豆1kgで約80杯のコーヒーができ先進国で売り上げが2万7千円。
このコーヒー豆1kgをエチオピアの農家からたったの8円で購入、今は少し上がって10円。
2万7千円には人件費や経費が掛かっているわけですが、出している利益を見ればもっと現地に還元しても良いんじゃないの?

 

コートジボワールで、親に売られた子供がチョコレートのカカオ農場でほぼ奴隷のようにして働き、先進国の僕たちがこの子たちの作った食べ物の恩恵を受けている。

服(縫製工場)
バングラデシュで、1日10時間労働、1ヶ月4回休んで月収7千円。
お米が25kg 3,400円と家賃3,000円で月収をほぼ使い渡してしまいます。
両親が必死に働いても幼少期にご飯が食べれず栄養失調で脳に障害が残った子もいるぐらい。
現地の縫製工場はメーカーのほぼ言いなり。提示された値段を断れば仕事は無くなる。日本の下請けよりひどい扱い。
それに応えようと必死になってその行き過ぎた結果、ダッカの工場のビルが倒れて問題になったが、この事件をきっかけにファストファッションはバングラデシュからサッと居なくなった。
◯ニクロもすぐに撤退したそう。

先進国の僕たちの生活はこういう人たちの労働力の下支えによって成り立っている。
服もいっぱいあり、チョコレートも買える。
実は先進国の方が支援されていて、貧困問題への活動は取り過ぎた分を返しているだけ。
我々は身近な人から取り過ぎれば謝りながら返すが、国境があることによって搾取している事が見えなくなっている。

 

俯瞰して見たとき、日本人は食べ過ぎて病気になっていて、海外から大量に輸入して大量に捨てている。
一方で途上国のでは子供達がお腹を空かしている。
気付けば普通じゃない。気付けないからそれができてしまう。
しかしそれを知れば人間はそれができなくなる。知ることは物凄く大事。

以上の話から、我々先進国の経済は開発途上国の土地を荒らしながら有限な資源と尊い労働力を搾取しながら成り立っているという事が分かりました。
先進国側だけの世界を見て日々を過ごしてきましたが、全く全体像が見えていませんでした。
つづく

 

今日のまとめ
・開発途上国の土地を荒らし、有限な資源と子供を始めとする尊い労働力を搾取する事でたくさんの安い服や食べ物を享受しているが改める必要がある。

有難うございました。

藤原ひろのぶさんお話会@兵庫高砂 その2 日本の弱点

『貧困問題をどうやって事業で解決するか』をテーマに活動されているひろのぶさんが、観光地にもならない開発途上国に何度も行く中で「日本人の弱点」が俯瞰的に見えてきたそうです。

日本人の弱点3つ
1.イメージ操作に弱い
2.思考を二元化しやすい
3.自分の意思を見せない、他人からの見られ方を気にする

1つ目は、
日本のメディアは商業放送の性質が強く、その偏った情報しか入ってこないことに国民は気付いておらず、行ったこともない国をテレビからの情報だけで悪い国と判断してしまう傾向がある。
例えば、「イラクに大量破壊兵器がある」「残虐な行為をしている悪の帝国に対してアメリカが正義で戦う」という情報操作によって世論を誘導し、先制攻撃をしたイラク戦争で日本はアメリカをバックアップした。
何十万人殺した後「大量破壊兵器は無かった」と。
北朝鮮も同じ。行ったこともない国をメディアの報道だけで悪い国と決め付けてしまう。そして日本はアメリカから大量の武器を購入。「危険な国がすぐ隣にあるから」と世論が武器購入を容認する。イメージ操作によって簡単に洗脳される。
仮に危険な国だとしても、メディアの報道を鵜呑みにし過ぎだと私も思います。
これは「イメージに弱い日本人」のほんの一例です。

2つ目は、
「正義と悪」「敵と味方」という二元的な見方をしがちで、敵対関係に陥りやすい。
健康の意識が高い人に多くなりがちなのが、食品添加物や農薬を「悪」、それを使う人を「敵」と二元化してしまいがちで、敵とみなされてしまった方は敵同士で結束し、本来なら一緒に解決策を見つけるべきなのに敵対関係になってしまう。
米軍基地も同じ。賛成派と反対派が一緒に解決策を考えるべきなのに非難するだけ。
イルミナティも同じ。社会は一人一人の選択の総意で出来ているのに、自分がまるでイルミナティの様な組織の被害者であるかの様な感覚に陥りがち。もしそんな組織があったとしても、私たちの選択を利用しているだけ。

私も自身の病気を治す過程で、治療方法だけでなく社会の様々な問題を知ることと比例して陰謀論と言われる説もたくさん目にして鵜呑みにした時期もありましたが、薬も添加物も農薬も自分たちが手軽に安く済ませたいという欲求によって育てられたもので、みんなの選択の結果、人任せ・無関心の結果が今の社会を構築していることを人のせい、陰謀論的な組織のせいにしていることに気付きました。
もし本当にそんな組織が悪巧みをしているなら炙り出せば済む話です。

このように「思考の二元化」は問題解決どころか敵対関係や孤立を生み、延々と相手を責めるだけになってしまうという危険な考え方です。

そして3つ目は、思考の二元化によって「自分は悪くない」と他人のせいにする。規範を外部化し自立出来ない人間が多い。
自分が正しいか悪いか人に決めてもらわないと納得できない。
同調意識が強く、自分の意思を明確に示さない。他人にどう見られるかに囚われがち。

これら3つが日本人の弱点で、
他には
・平気で汚した海で育った魚を食べる。
・米軍基地とその上の米軍の空域について。
・種子法(モンサント法)が通ったこと。
・日米原子力協定により、原発を止めることは出来ないのに、そこには目を向けない。
・子供の将来と言いながら選挙にも行かない(投票率50%)
といった無頓着・無関心を改めないと、食卓すら守れない。

 

今日のまとめ
・日本のメディアはリテラシー(能力)が低いが、日本人もリテラシーが低過ぎる

まだまだ次回も続きを書きます。
ありがとうございました。

藤原ひろのぶさんお話会@兵庫高砂

『健康のすすめ』『病気を直そう』というサイトやブログの運営をされ、ギニアなど発展途上国の貧困問題をはじめとする社会活動をされている藤原ひろのぶさんが高砂に講演で来られるということで、なかなかこんな貴重な機会はないと思い妻を誘って参加してきました。

食や健康、貧困問題といった人に伝えることが難しい題材をわかりやすく書かれたブログを以前にfacebookで見つけて以来、たぶん一年くらい読ませて頂いています。

貧困問題の解決という社会活動をするためには、それに必要な多額の運営費を1人の資産家に出資してもらうのではなく、大勢の人ひとりひとりの少しずつの意識の変化の方が大切で、貧困問題と実は直結している私たちの健康の話も交えて分かりやすく発信し続けられています。

今回私たちの健康と途上国の貧困問題がどう関係あるかの話は横に置いといて、社会活動について書きますが、
誰しも心の奥底には、世界平和や貧富の差の解消といったことに貢献したいという気持ちが大なり小なりあると思いますが、そうは言っても目の前の生活・経済活動を優先しなければ生きていけない(生きづらい)といった現実に引き戻されてしまいますが、ひろのぶさんの活動的な行動、発信に共感し尊敬していました。

私はそういった社会活動をされる方と、気持ちはあってもできない方との違いみたいなものが知りたくて、ひろのぶさんが社会活動をされたキッカケを伺いましたところ、
「両親の生き方のお陰」だそうです。
「言葉だけの大人から子供は何も学ばない」
「親が自覚して行動しないといけない」
「活動を続けたことで貧乏だけど、子供たちが自発的に目的を持って勉強するようになったことが成功だと思っている」と仰られていました。私には名言だらけです。
自分の生き方というのは子供の生き方をも左右するということを認識できたと同時に、私もそういう生き方に少しでもシフトする理由というか勇気を頂きました。

社会活動をやっていく上で資金が必要ですが、仕事(経済活動)では金儲けが許されても、貧困問題解決といった社会活動で金儲けは世間からあんまり認められず一般的にはボランティアというイメージがあり、
「価値(がある活動)と価格の乖離(かいり)」
があり、社会活動で自分(ひろのぶさん)が儲けなければ次の若い人が続かない、と仰られ、
また、社会活動をしているとユニセフをはじめとする多くの社会活動機関がたくさん失敗しているところも見てきたそうで、
「失敗を繰り返すことが大事」でその失敗によって次が生きます。
しかし「日本は失敗を認めないところがある」
また「日本人は人からの見た目を物凄く気にする」
とまるで自意識過剰な自分のことを言われているようでもありました。

 

いくら良い社会活動でも資金がなければ継続できない訳ですが、社会活動は「共感」を得ることで資金を集める方法しかないのか尋ねたところ、
人は「消費」だけにお金を払うわけではなく、例えば塾なら「教育」にお金を払っているように見えて実は「良い学校に行くため」にお金を払っている、
コンサートなら「経験」にお金を払っているようで実は相手に会いたいから相手が好きだからお金が発生している、
というように、人が価値を感じてお金を払って良いと感じる側面はいっぱいあり、それのどれかと社会活動とが当てはまることが必ずある。
例えば、(下世話な話と前置きがありましたが)主婦層をターゲットに男前ばかりのしっかりした社会活動家を4人ぐらい揃えてセミナーをするといった例え話もありました。

そんな話を聞いて、ひろのぶさんはマーケティング、マネジメントの感覚も鋭いことがわかりました。
ドラッカーを全冊読まれたそうですし。
よく勉強され、方法も考えておられます。
こんなお父さんカッコいいですよね。

今回一番印象に残ったのは、「貧乏でも子育てには成功したと思っている」という発言です。
お金がない時からギニアにお金を送っていたそうで、自分への投資と考えていたそうです。
有限な人生を「価格」ではなく「価値」に投資されているということでしょうか。極端に言えば。思考の二元化は危険です。それも学びましたのでまた触れたいと思います。

 

今日のまとめ
・「言葉だけの親から子供は何も学ばない」

ありがとうございました。

Blog Workout Vol.3

先日、ブログワークアウトvol.3に参加してきました。
今回はブログをより快適に利用するためにどんな機能を利用すれば良いかという説明がメインでした。
セキュリティー、アクセス解析、デザインカスタマイズなど様々な便利な機能がありますが、私はその辺りのことに対して疎過ぎてちんぷんかんぷん。
問題意識が持てておらず、今後必要に応じて聞いていくことにします。

今回は、一年後にどんなブログになっていたいですか?という質問がありました。
私のブログの閲覧者数は毎日平均一桁台なので、あまり価値があるブログと感じてもらえていないので、改善策の1つとして自分が残念だと感じた他者の投稿を参考にそれを自分に当てはめ見直していくことで、1日平均十数人の閲覧者数を目指したい。と答えました。

先ほど自分の投稿を読みましたが、相変わらず読みにくい。( )や「 」が多く、改行も多い。それは読みにくさを感じさせないための工夫のつもりでしたが、それが返って読みにくくしていますし、自信のなさの表れだと思いました。
でもこうやって気づく機会があっただけでも参加した甲斐が十分あったと思います。

 

今日のまとめ

・投稿の内容よりも、読みにくさの改善を意識する。

ありがとうございました。

死ぬことの価値

前回書きそびれたことをもう少し。

「今の自分の命は、多く死(先祖、生き物、食べ物)の支えによって存在していること」を学んだと前回まとめましたが、他にも思い出したので忘れぬうちに。

「死」というのは残った人に大きな影響を与えるので、「死」は大きな価値があるということにもなります。
周りに大きな影響を与えることで、その「死」は活きてきます。無駄死にでは無くなります(そもそも無駄死になど無いという話ですが)。

その死から感じるものは人それぞれ違いますが、
「命の尊さ」や「人生の儚さ」を気づかせたり、「死んだ者の分も生きよう」と勇気付けたり、社会問題を投げかけたりと、
何かしら残った人間に強い影響を与えます。

幼少期に私を可愛がってくれた祖母の死、高校生まで飼っていた犬の死、それらの「死」によって命の尊さを教えてもらいました。

ひょっとすると、祖母が私を可愛がってくれたこと以上に、亡くなる数日前に祖母と握手したこと、祖母が亡くなったことの方が、今の私に大きな影響を与えているのかも知れません。

それくらい「死」が周りに与える影響(=価値)というのは、生きていた時に与える影響と同じくらい大きいことがわかりました。

より活きる死に方をしたいですし、より活きる捉え方をしたいです。

自分の死によってどんな影響・価値を与えたいか考えてみることも、どう生きるか考えることとさして変わらないと思います。

 

今日のまとめ

・「死」は周りに大きな価値を与えるもの。活きるもの。

人の役に立つための最後の大イベント。

いろんな死が尊重できます。

ありがとうございました。

「いきたひ」上映会で死生観がパラダイムシフト

昨日は夫婦でいつもお世話になっている職人起業塾 高橋塾長のご招待で自主映画上映会に行ってきました。

ご主人をガンで亡くされた奥様作られた映画で、御自宅でご主人を家族で看取られた当時の映像や、家族を看取った他の方々の話なども含めて、看取ることを通して経験されことや死生観を発信された映画でした。

死という人生の最後についての何か気づきを得たいと思い、見積もりなどが溜まった忙しい中ではありましたが、それ以上に大切な時間であると思い夫婦で参加してきました。

この映画から感じることは十人十色だと思いますが、私はこの映画よりもその後に続く「臨終ワーク」と監督のお話が非常に示唆に富んで良かったです。

この映画と監督のお話から感じたことは様々ありますが、話がブレるので一番肝になる「死生観」の部分について学んだことを書きます。

監督の話から、「生前49日」というものがあるらしく、事件や事故、急病などの突然死の方も含めて死の約1ヶ月半前から、それまでの本人の本望ではなかった生き方の部分を清算するような行動があるそうです。
家族との確執を無くすような出来事や、御本人が抑制されていた欲望を解放する言動がみられたり。
そういった経験が看取られたご家族にとって良い体験だったようで、看取るという経験を忌み嫌うものではないというものでした。

また不幸とされる様々な死に方がありますが、それはその「死に方」だけにフォーカスしているのであって、例えば監督のご主人は47歳という若さでガンで亡くなられましたが、そのお陰でこの映画ができ多くの方に示唆を与える機会が生まれたわけで、また家族たちに死に様を通して死ぬこと生きることを考える貴重な経験を与えた訳で、「死に方」に対する残された側の捉え方はどうにでもなり、マイナス面にばかりフォーカスして、まるで死者の人生自体をマイナスに引きずり下ろすのはどうか?という意見でした。
子供がイジメで川で溺れさせられて亡くなるといった事件も、その子は自分が死ぬことでイジメについて社会に問いかけるという役を買って出た天使であると、この映画を見にきた小さい子が発言したというエピソードもありました。その亡くなった子の悲しい部分を強調し、「可哀想な子」というイメージに引きずり下ろすのではなく、もっとキラキラしていた時のことに目を向けてあげたほうが良いのではないかという話でした。

この「いきたひ」の漢字は「生」と「死」を合わせた造語で、監督には「生」の部分が人が両手を挙げた形に見え、その下の大きな「死」がその人を支えているように見えると。

私たちは先祖たちの多くの死の上で今生きており、次の世代にバトンを渡す立場。食べ物の命、野菜であっても命があり、その命を頂き多くの死の下支えのもと今私たちは生きているのだ、ということで、
例えば「どうせ自分なんか」と諦めるような考え方は、自分を下支えしている多くの命に対しても失礼で喜ばれることではなく、その多くの命を尊重するなら、自分に素直に自分が喜ぶことをしている姿によって先祖も喜ぶのではないかという、非常に説得力を感じた話でした。

監督はこの映画上映会、お話会を全国でされていて、その参加者の方との話をいくつか紹介されましたが、家族が自死されたかたの話でも、それまでは肯定的に捉えることができなかったが、この映画上映会に参加した事で「看取り直し」ができるようで、自分の意思で死ぬ「自死」という家族の決断を尊重できるようになった、というエピソードもありました。

この映画上映会、お話会で学んだことは、我々は「死に方」に対して必要以上にマイナスに捉えすぎているのではないか?という事と、自分が素直に喜べることをする事で自分を下支えしている多くの命に感謝をあらわそう!ということの2つです。

今回はパラダイムシフトと言っていいくらいの学びがありました。次回は(機会があればですが)、この映画・お話会から感じた「死生観」以外の「医療・介護」のことをまとめたいと思います。

1つ書き忘れていましたが、映画上映後の監督のお話の前に「臨床ワーク」というものがあり、そこで私は自分に「ありがとう」と「御免なさい」という気持ちになり涙が出てしまいました。
監督の言われた「自分に素直に喜ぶことを」が出来ていなかったからだと思います。

 

今日のまとめ

・自分が素直に喜べることが出来なければ、自分を下支えしている多くの命に対して申し訳ない。

・「死に方」は人生の一部でしかなく、しかも捉え方次第で良くも悪くもなる。

ありがとうございました。

ストーリーのある食事

昨夜は神戸市西区で農家をされているキャルファーム神戸さんの月一の勉強会に参加してきました。

職人起業塾の内容を基にした勉強会で、本家より少し砕けた雰囲気で毎月開催されていて、私も参加させて頂くようになって早一年半ほど経ちます。
ここ数回は本家と少し路線を変えて主催者兼塾長大西さんの切り口の議題でディスカッションしています。

今回は半年に一度の夕食付きで、参加者の農家さんたち持ち寄りの野菜を使って、同じく参加者の野菜ソムリエの佐々木さんが料理し、参加者みんなで一緒に頂くというなんとも贅沢な時間を過ごしました。

長く一緒に勉強してきた仲間が育てた野菜を、そして作った料理をその仲間たちと一緒に頂けるだけで十分に美味しく感じますし、佐々木さんが料理したので美味しいのは当然で、しかも私はここ数年大の野菜好きですから大満足でした。

もうこれだけで立派なレストランが出来てしまいます。
そもそもキャルファーム神戸の大西さんがこの勉強会を始めとする様々なイベントを開催されて、人の繋がりがこのように生まれたことでこうした時間を過ごせた訳ですが、聞くところによると、このようなイベントをするようになったのは大西さんが自発的に始めたのではなく、ご友人から仕事としてご依頼されたことがキッカケで、たまたま参加者の反響が良くその流れで「畑で婚活パーティー」などをしてみたり、JA青年部の全国代表の声がかかったりと、たまたま頼まれごとに応えてきたという感じで、私はもっと意図的にされていたのかと思っていました。
たまたまそんなニーズがあってその中で大西さんがやりたいと思ったことを選択されて来たといった感じでした。

一般的な農家さんのイメージとはかけ離れていますが、柔軟な思考を持てば農家さんに限らず業界を面白くできる可能性がまだまだあるように感じます。

そんなところに集まってくる人との交流を大切にしたいものです。

 

今日のまとめ
・知っている人が育て、知っている人が料理したというストーリーのある食事は、ローカリゼーションでしか味わえない幸せ。

大切にしていきたいと思います。
ありがとうございました。

ファブラボ高砂 祭り屋台模型野地板貼りワークショップ

本日は、今年の8月に開催した「祭り屋台ミニュチュア模型づくりワークショップ」の続きとして、「野地板貼りワークショップ」をファブラボ高砂にて開催しました。

ファブラボ高砂はサンモール高砂の母体が撤退する為、来月12月9日までに立ち退きになり、それまでに滑り込みセーフのイベント告知を前回参加者にさせて頂きました。

立ち退き後はもう少し南に位置した高砂銀座商店街の一角に移転することに決まりました。

前回小学生6名(6組)限定で開催し、今回はその内3組(プラス1名は先週に)の計4組の方が急な告知にも関わらず、参加して頂きました。

前回は6組相手に2時間でゼロから様々なパーツを組み立てるという私にとってはハードなワークショップでしたが、今回はその組み上がった残りの屋根仕舞いだけで3組相手でしたので、私としては若干手持ち無沙汰であり、一人で全部貼った小学生でも1時間弱で終わりました。

下地に適した厚みの厚紙を貼り、木の色に合わせるためその上に色紙を貼りました。

今年3月にファブラボ高砂をオープンするための工事をさせて頂き、2回のワークショップの準備でレーザーカッターを使用するため毎週日曜日に何度も通い、個人的にとてもお世話になった場所ですが、来月の移転に伴い、ここに来るのは今日で終わりだと思うと少し寂しい気持ちになりました。

ひとつひとつ妻と好きなように作らせて頂きましたが、移転先はここより狭いそうなので、処分されてしまうものも多くあると思いますので、記念に写真を撮り残しておきました。

今回のワークショップの記念写真。

続きで飾り付けのワークショップの有無を聞かれましたが、あとは各々ので飾り付けて頂こうと思います。

今回のコンセプトは、子供でも比較的手軽にやっさの模型というかオモチャで遊べることなので、ベースの部分を如何に簡単に作れるかというところに力を入れています。四本柱から下はヒノキの工作材で私が下ごしらえしたもので組み立てて頂きましたが、多くの方々に作っていただくには全てレーザーカッターで部材が揃うようにデータを作る方が先だと思います。

これによる収益はありませんので半分遊びでもありますが、こんな活動が宣伝になってくると思いますので、仕事でもあります。

話がそれますが、高砂銀座商店街での月一の朝ごぱん市に「明確な目的や、どう発展するか判らないが」参加しだしたことがキッカケで高砂のまちづくりの方々と繋がり始め、ファブラボ高砂の工事依頼を頂き、このような流れになりました。いい勉強になりました。

今後も少しずつではありますが、模型作りを更に発展させていこうと思います。ありがとうございました。

このブログ記事は、Blog Workout Vol.1というワークショップhttps://www.facebook.com/events/1523501781074623/?ti=icl

にて書いています。