参議院選挙が終わって

この選挙期間中、youtube で選挙活動の動画を毎晩見ていました。

なかでも、山本太郎氏が立ち上げた「れいわ新選組」に大きな関心を持ち、個性的な10名の立候補者の演説や講演の話は、それぞれ現場の当事者の訴えであり、身体障害者の方2名、女装を肯定する東大教授、元外資系金融機関社員、元コンビニチェーン店オーナー、創価学会員、環境活動家、元東電原発社員、元ホームレスのシングルマザー、皆さん現場の問題点を理解され、一人ひとりの人権や多様性が尊重されている政党に感じました。

「弱者にやさしい社会」は自分が弱者になっても安心できるみんなにとって優しい社会であり、彼らのような候補者を擁立された太郎氏に深く共感します。

政治や社会のことに無関心であったり関心があっても詳しくはない庶民にとって、彼らのような当事者の声は響きやすく、何を訴えたいのか興味を持つことができます。これまでの政治や、政治家たちによる話が、いかに庶民に伝わりにくく、また庶民からの声も届きにくく、無関心を助長さてきたかが、この当事者たちの本音の訴えとの違いによってよくわかります。

それは2世3世のお坊ちゃま政治家たちが庶民感覚とかけ離れているからだけでなく、本音で話しているようには思えない説明や議論、重箱の隅をつついて勝ち誇ったり、プロレスのような言葉遊びや感情的な印象操作に注力し、政治がわかりにくく、庶民の声など到底届かない、反映されない、そんな政治に我々は飽き飽きしてしまっているように思います。

我々と同じ庶民、または我々が関心を持ちやすい切実な訴えを持った当事者が国政を担うことで、我々の生活と政治が直結しているというあるべき姿を理解し、組織票の中にもいる無関心層を少しずつ取り込みながら、庶民の声が届きやすい政治に変わっていく小さな兆しが、まだまだ少しですが見えたように思います。今回は結果的に2名の方が当選され、見事に新しい風穴を開けてくれることになるでしょう。

無関心層が関心を持つキーポイントは、自分の生活に直結していると感じることと、その政治家の訴えが「本音かどうか?」の2点ではないかと思います。これと真逆のことを日本のこれまでの政治が行ってきたのではないかとも思います。

自分自身に当てはめたとき、自分は本音で事業をしているか、また行動が伴っているか大いに反省、確認する必要があると感じ、お客さんの生活に直接的でも間接的でも関係することを発信する必要性も感じます。

人の振り見て我が振り直せ。常に自己欺瞞との闘いかもしれません。

弱者にならないと気付かないことは多いですし。

損して得取れ

数か月前から、ビデオニュース・ドットコムというインターネットニュース番組にハマっています。

(HPより)ビデオニュース・ドットコムは真に独立した公共的な報道を行う目的で1999年に開局した日本初のニュース専門のインターネット放送局です。

ジャーナリストと社会学者による広く深い視点からの解説が素晴らしく、面白くためになる内容です。

社会を知ることは人を知ることであり、人を知ることは社会を知ることにもなりますが、結局、それらを知ることは幸せな人生を送る上で必要不可欠なことだと思います。

今日仕事から帰ってくると、机の上に「広報たかさご」(高砂市が毎月発行する広報誌)の7月号があり、表紙には高砂市の魅力が箇条書きでたくさん書かれていました。

どれも高砂市らしいものですが、正直「それがどうした?」というものばかり。

ビデオニュース・ドットコムに話を戻しますが、最近の無料放送回(トランプとオピオイドと炭鉱と今)で、町が昔に比べて面白くなくなった理由についての話がありました。

理由は、昔は町の誰もが、徒歩や自転車の移動範囲内で生活していた(要するに地域密着の生活であらゆることを物質的にも精神的にも共有していたことによるつながりがあった)のに対し、近代化の過程で、移動手段が車になり便利になったり、安全性の観点から、子供が外(町)で遊び難く(または遊べなく)なり、どこに何があるということを知る機会も少なくなり、町の人と人とが希薄な関係性になってきた、ということでした。

そうなってしまう理由の一つとして、人は「損得」や「便利」、「安全」といった言葉で規定しやすいことに意識が向く代わりに、言葉で規定されにくい(見えにくい)ことを見逃してしまいやすいということ(特に民度の低い日本人は)。

その結果、町からは違法な露店が排除されたり、道端で遊べなくなったり、日常的に人が集まることや繋がる機会がどんどんなくなり、どこにでもある面白くない町と化したということです。

「広報たかさご」に話を戻すと、ひとつひとつの特徴に魅力がないのではなく、ひとりひとりがそれらにまつわる繋がりがなく思い入れが持てないことに、本質的な問題であるのだと感じました。

「損得」というわかりやすい価値を選択したはずが、よそよそしい希薄な人間関係という結果を招き、経済的に楽になっても、むしろ精神的、感情的には不幸になったことからすると、損得で自分の得を優先したつもりでも実は損をしていたり、損を選んだつもりでも損などしていなかったりと、表面的な損得には価値が少なく、多面的に判断したり感じる必要があることが理解できました。

「損して得取れ」ということわざがあります。

損して得取れとは、一時的には損をしても、将来的に大きな利益になって返ってくるように考えよということ。(故事ことわざ辞典より)

ビデオニュース・ドットコム、おすすめです。

無料放送回もあり、youtubeでも見ることが出来ます。