今から1年半前の2014年10月当時37歳の僕は、県立がんセンターにて大腸からの転移による肝臓癌の切除手術を受けました。
その後、化学療法(抗ガン剤)を勧められると同時に、5年生存率12%という宣告を受けました。
僕と同じ症状の患者が辿った結果の統計であり、一応世の中で一番信憑性があるとされるエビデンス(科学的根拠)です。
術後約2年半で100人中50人が亡くなり、5年後には12人のみが生き残り、その後も少しずつ亡くなっていく、というグラフを見せて頂きました。
ステージ1〜4まであるうちの1番重度になるステージ4です。要するに末期がんです。初発の大腸がんのときはステージ2でしたが、その後の転移となると生存率が著しく低くなるそうです。
初発の時とは違い、これは堪えました。「マジでやばい」と。子供のこと、嫁のこと、両親や妹達のこと、今後の治療に関する方針、いろんな事を考えました。
なかでも自分が亡くなると子供の成長を見守ることができないこと、幼くして片親になり寂しい思いをさせてしまうこと(片親の家庭はたくさんありますが、そうは言っても辛いです)は、耐え難い屈辱です。
なんとかして生き残りたくて、がん治療に関して本やインターネットで出来る限り調べました。
また時期が前後するかも知れませんが、身辺整理を本気で考えました。大工道具や軽トラをどこに売ろうかと。そのほうが残された家族の仕事が減り、少しでも高く売って生活の足しになると。しかしそんなこと考える暇があったら、結果はどうであれどうすれば生きれるか必死になったほうがいいと思い、考えを改めました。
また、これも時期が前後しますが、がんセンターに向かう車中、外の景色や他の車を見ながら、「自分が死のうが何事もなく日々経済活動が行われ、いつも通り時間は流れていくんだろな」と自分はひとり見放された脱落者のような気分を味わいました。
誰しも遅かれ早かれ死ぬわけですが、脱落者のように死ぬ悲しい死に方ではなく、人に愛されまた愛し、世の中の役に立ったと本気で思えるような生き方をしていれば、死ぬ本人は口先だけでなく心残りのない人生を歩んだと思えると思います。
お金や名誉などをいくらたくさん手に入れても、「世の役に立てた」「たくさん愛し愛された」という自負がなければ、死ぬ時になって脱落者の気分を味わうことになると思います。
また周りと助け合える強い関係が築けていれば、残された家族の心配も少し減るように思います。
そういう意味で「愛」をもっと意識する必要性を感じています。
がんについて色々調べた結果、自分は今後がんで死ぬことはほぼ無いと信じていますが、いずれ来る次の死を覚悟する機会にはもう同じ思いはしたくありません。
その為にも、どんな生き方をしたいのかを自問しながら実践しなければなりません。
写真は当時入院中に嫁が送ってくれた子どもの様子。まだ2歳と1歳。どうしても生きたいというモチベーション。